世界史の目-Vol.127-

大統領任1037日・後編
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 数々の功績を打ち立てたケネディ大統領ジョン=フィッツジェラルド=ケネディ。1917-63。任1961.1.20-1963.11.22)は、1964年からの2期目の大統領選挙再選に向けて活動を始める際、民主党の力が弱かったテキサス州での得票を目的とし、1963年夏、リンドン=ジョンソン副大統領(副大統領任1961-63。次期大統領。任1963-69)たちからの提案より、テキサスのダラス遊説を計画し、11月22日に実施することを決定した。自動車パレード後、ダラス郊外にあるダラストレードセンター(商品館)で演説を行う予定であった。

 就任して1037日目となる22日の正午前、晴天のダラス、ラブフィールド空港に降り立ったケネディ大統領一行は、各自数台の自動車に乗り込んだ。ケネディが乗った自動車はリンカーン・コンチネンタルのオープン・カーで、同乗者は、当時"史上最年少のファースト・レディ"であったジャクリーン=ケネディ夫人(ジャクリーン=ブーヴィエ。1929-1994)、テキサス州知事ジョン=コナリー(1917-1993。知事任1963-69)とその夫人、あと、ドライバー含む2人の護衛(シークレットサービス)で計6人である。自動車パレードコース周辺にはケネディ一行を一目見ようと、大勢の民衆が詰めかけていたが、一方でケネディを批判する団体がプラカードを掲げたり、黒枠広告が当日朝刊に掲載されたりなど、歓迎を拒む者もいた。

 自動車でのパレードが始まった。パレードはダラス市の都市公園であるディーレイ・プラザまで進んだ。ディーレイ・プラザでのパレード・コースは、メイン通りからヒューストン通りへ右折、テキサス教科書倉庫ビル(現・6thフロア博物館)のところでエルム通りに左折し、そのまま突き進む形をとった(下方、右図参照)。詰めかけたダラス市民に笑顔で手を振るケネディ夫妻であったが、オープン・カーが教科書倉庫ビルを通過してエルム通りを通過していた午後12時30分、爆竹のような乾いた音が3発響いた。それは銃声であった。
 この銃弾はケネディ大統領に命中し、またコナリー知事も被弾した。パレードは中断となりそのまま病院へ直行した。しかし午後1時、ケネディ大統領はその被弾がもとで死亡した。

 メディアのほとんどは到着予定地であったダラストレードセンターに集まっていたため、大統領狙撃の決定的瞬間は中継されなかった。しかし、同地近くで婦人服製造業を営んでいた民主党及びケネディ大統領支持者のエイブラハム=ザプルーダー氏(1905-1970)が、パレードを見物するためディーレイ・プラザに入り、たまたま持ち込んでいたサイレント動画撮影用カメラで大統領を撮していた。これは"ザプルーダー・フィルム"として一躍有名になり、また事件解明の手がかりとなる重要資料となった。

神戸マンツーマン指導専門学院 ケネディ大統領の死亡は事件が起こって1時間後に公表され、その直後リンドン=ジョンソン副大統領が大統領に緊急就任を宣言した(任1963-69)。数々の功績を打ち立てた若き大統領の暗殺という衝撃は、全米、全世界に瞬く間に伝わった。
 ジョンソン大統領は調査のため、公式調査委員会であるウォーレン委員会を設立した。調査結果によると、エルム通り通過中発砲(右図参照)、銃弾は3発の内2発直撃、まずケネディ大統領ののどを貫通しコナリー知事に当たった。もう1発は大統領の頭部であった。ケネディ大統領は頭部への被弾が致命傷となり、死亡した(享年46歳。ケネディ死去)。コナリー知事も重傷を負った。発砲は車列後方の教科書倉庫ビルからのものであるとされた(ライフルの薬莢が発見されている。しかし大統領は被弾した際、頭部が後方に動いた記録が残っており、前方からの射撃の可能性も残した)。これは大統領を狙っての発砲であり、暗殺目的とした犯行であった(1963.11.22。ケネディ大統領暗殺事件)。

 11月25日、ジョン=F=ケネディの葬儀が行われた。亡骸は国立アーリントン墓地に埋葬され、海軍賛歌、"Eternal Father,strong to save"が演奏された。

 暗殺犯とされたリー=ハーヴェイ=オズワルド(1939-1963)は、先月末に教科書倉庫ビル内での従業員として採用され、大統領狙撃前後に複数からあらゆる場所で目撃されていた人物であった。逮捕時は大統領狙撃後に起こった警官射殺事件の容疑者としてだった。オズワルド容疑者は職務質問を行おうとした警官に発砲したとされ、近くの劇場で逮捕されたのだった。そして、当夜にはケネディ大統領暗殺事件の実行犯として再逮捕された。彼の素性や犯行動機、組織の陰謀かあるいは単独犯行か、そもそも彼による犯行かどうか、尋問は山のようにあった。これから時間をかけてオズワルドを徹底的に問い詰める予定であったが、予期せぬ出来事が起こった。11月24日(事件の2日後)、ダラス市警本部留置所から拘置所へ移送する際の、報道関係者が数多く集まっていた市警本部の地下通路で、人混みから出てきた1人の男性によって射殺された。
 この地下通路内での一部始終は全米で生中継されたため、さらなる衝撃が走った。オズワルドを射殺した人物はジャック=レオン=ルビー(1911-1967)で、ダラスでナイトクラブを営んでいた。オズワルドを殺した動機として、最愛の夫(→ケネディ大統領)を失ったジャクリーン未亡人と子ども達のためとルビーは供述しているものの、マフィアやキューバ要人との関係も取りざたされた人物であったため、信憑性は薄かった。事件の真相は推論ばかり浮かび上がり、オズワルドとルビーとの関係もわからないまま、ルビーも4年後に獄中で病死した。これにより、ケネディ大統領暗殺事件の真相は現在においてもなお掴められていない。

 事件の影響力ははかりしれず、ケネディ一家には数々の悲運が重なった。ジョン=F=ケネディ亡き後、実弟のロバート=ケネディ(1925-1968)は1968年の大統領選出馬を表明し、カリフォルニアの予備選に勝利したが、その直後、ロサンゼルスのホテルで銃撃を受けて42歳で死亡している(ロバート=ケネディ暗殺)。またジョンとジャクリーンの息子で、法律家であったジョン=F=ケネディJr.(1960-1999)もまた、彼の操縦する小型機の墜落で妻と義妹とともに死亡するなど、兄弟・親族を襲った一連の悲劇は"ケネディ一家の悲劇"とされた。

 こうした中で、最大の悲嘆を背負うことになったジャクリーンは、その後ギリシャに渡り、1968年に海運を営む大富豪と結婚し、1994年、病気のため64歳で生涯を終えた。彼女の葬儀では当時の大統領ビル=クリントン(1946生。民主党第42代。任1993-2001)がスピーチを行い、彼女の亡骸は前夫ジョンの墓があるアーリントン墓地にて、ジョンの隣に埋葬された。
 暗殺事件でのジャクリーンの勇姿は現在においても長く記憶に留められている。ジャクリーンは夫が撃たれて頭部が粉砕した瞬間、次の狙撃があるかも分からない事態においても、ジャクリーンは車の後方部分に身を乗り出して、銃撃で飛び散った夫の頭部の断片を拾い集めた姿は、史上最も勇敢なアメリカ人女性として、広く国民から賞賛された。

 大統領に就任して1037日間、若さと情熱、そして聡明な頭脳で大国を支え続け、アメリカ合衆国のみならず全世界において多大なる影響を与えたジョン=F=ケネディ。その伝説は後世に幅広く語り継げられ、現在も色あせることなく人々の心に刻み留められている。 


 今回は前回に引き続いてケネディ大統領関連をご紹介しました。今回はどちらかといえば暗殺事件が中心となりましたが、現在においてもケネディの生涯や、暗殺事件の真相をつづった作品が小説化されたり、映画化されたりなどでその名は消えることがありません。それだけに後世に残した影響ははかりしれないものがあるのですね。

 さて学習ポイントですが、残念ながら今回は受験世界史としての重要所は本編ではあまり見あたりません。ジャクリーン夫人やロバート=ケネディといった人物も入試には登場せず、ケネディ大統領暗殺事件においても、せいぜいテキサス州の州都ダラスで暗殺されたという事実ぐらいで(これもあまり出題されません)、実際入試に出る範囲は、やはり前編におけるケネディの生前の功績にスポットが当てられますね。ただ、ケネディ大統領は戦後初めて暗殺されたアメリカ大統領であることは常識範囲で知っておきましょう。
 本編で大事なところといえば、ケネディの次に大統領に就任したのは、副大統領から昇格したジョンソンであることです。ジョンソンも民主党です。余談ですが、ジョンソンはその後1964年に再選を果たし、ケネディ政策を引き継いで、懸案だった公民権法を議会で通過させましたが(1964)、一方でインドシナ問題においてはとうとう北爆が引き起こされてしまいます。このあたりは受験で出題されます。

 また戦後のアメリカ大統領は順番に言えたら、現代史も覚えやすいですよ。順に追うと、

  1. トルーマン(民主党。任1945-53)
  2. アイゼンハウアー(共和党。任1953-61)
  3. ケネディ(民主党。任1961-63)
  4. ジョンソン(民主党。任1963-69)
  5. ニクソン(共和党。任1969-74)
  6. フォード(共和党。任1974-77)
  7. カーター(民主党。任1977-81)
  8. レーガン(共和党。任1981-89)
  9. ブッシュ(共和党。任1989-93)
  10. クリントン(民主党。任1993-2001)
  11. ブッシュ(共和党。任2001-2009)

以上11人です。私が受験生のときはブッシュ(お父さんの方)になるかどうかの時期で、予備校では彼らの頭文字を順にとって、"トアケさんのジョニフカレ"といった暗号めいた覚え方で覚えていました。今だったら"ブクブ"を付け加えないといけませんが、次に誕生する大統領の分も加えておかないといけませんね。

 次回は7月5日(土)頃の更新です。

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