世界史の目-Vol.149-

南海泡沫事件(South Sea Bubble)

 18世紀前半、初代国王アン女王(位1707.5.1-1714.8.1)のもとでグレート=ブリテン王国(大ブリテン王国。1707-1800)が成立したイギリス。トーリ党政権期、大蔵大臣を務めていたロバート=ハーリー(任1711-14)は、1711年、南海株式会社(南洋会社。The South Sea Company)という特権会社を設立した。この会社は名目上、スペインが当時領有していた中南米の西インド諸島への奴隷貿易(アフリカ奴隷を輸送。"南海"はアフリカ大陸南岸)を独占的に請け負う会社であった。しかし南海会社設立の本当の目的は、イギリス財政の再建にあった。莫大な利益が得られる当時の奴隷貿易を独占することは、国家財政をプラスに作用させると誰もが予想していた。

 当時のイギリスは財政状況が悪化しており、とくに国債処理で身動きが取れない状況であった。またスペイン継承戦争(1701-13/14)やアン女王戦争(1702-13)の最中でもあり、軍事支出も膨大であったのも要因であった。このような状態を打破するため、政府は国債処理用として南海会社を利用、国債の一部を強制的に南海会社株に換える方式で肩代わりし、奴隷貿易の利潤でそれを賄うというものであった。しかしスペイン継承戦争の影響でイギリスとスペインの国交が悪化、また密貿易や海難事故が相次ぎ、国家財政をプラスに作用させる期待は大きく裏切られていき、会社倒産も危ぶまれる状態になり、国債の引き受けに暗雲が立ち籠めた。

 1718年、同社は社運をかけて路線転換を図り、富くじ(宝くじの意味)を発行して賞金当選を期待する民間に購入させたところ、富くじは大規模に売れ、莫大な収入を得て、貿易による収入を超越的に上回った。翌1719年、南海会社はこれらの収入を国債全額引き受けにまわす"南海計画"を持ち出した。

 それは南海会社株を時価で国債と交換するという計画だった。例えば、国債1枚が200ポンドとした場合、南海会社株の株価が額面で100ポンドであったとしても、時価、つまり市場価格が200ポンドであれば、等価交換できるというやり方で、結果的には100ポンドの株券と200ポンドの国債を交換することになる。南海会社は手に入れた国債200ポンドから新株発行するが、そこから額面100ポンド分発行しても時価は200ポンドであり、残りの100ポンド分は南海会社の利益となり、株価は上昇する。この等価交換を繰り返していくと、利益は着実に上がっていくため、あわせて株価も無限上昇を続け、株主は巨万の富を築き上げていく。この南海計画は理想通りか、それを上回る展開で進み、意欲的な投資家がこぞって南海会社株を買っていった。

 その後は投資家だけでなく、階級を問わない多くの人々が投資に走った。南海会社はこの投資熱を冷ますため、400ポンドという高値の追加新株を発行して株価の値下げをはかったが、それでも投資は続けられ、1ヶ月で550ポンドにまで急騰した。1月に128ポンドだった株価が泡沫(ほうまつ。泡のこと)のごとく膨張していき、真の価値が取り戻されない状況になっていった。結果、1720年6月は1050ポンドとなって、わずか半年で南海会社の株価は10倍に高騰し、多くの成金が生まれた。

 この影響で東インド会社株や中央銀行のイングランド銀行株も急騰するなど、激しい株式ブームが興った。これをまねて無数の新興株式会社が勃興したが、当時株式会社設立にむけての許可制が設けられていたため、これを規制するべく、ついにイギリス政府が動き出した。

 同1720年6月24日、こうした泡沫状態となった株式ブームに規制をかける「泡沫禁止法(Bubble Act)」を通過させ、市場鎮静化に努めた。これをみて南海会社の経営陣は8月、下落を怖れて所有していた自社株を手放したが、議会は同月末に告知礼状を出したところ、株価は下落し始めたので、状態を察した多くの投資家がそろって株を売りに出した結果、下落度はいっきに加速した。それは史上稀に見る大暴落で、9月に175ポンドと、ほぼ急騰前の株価まで下がっていったのである。

 株価暴落により、イングランド社会はパニックと化した。泡沫禁止法によって南海会社をまねてつくられた新興会社は次々と潰され、つい先日まで高騰していた株券が紙切れ同然となり、町中破産者で溢れた。それだけでは終わらず自殺者も増大化する事態まで発展し、政府は東インド会社とイングランド銀行を除くいっさいの新規発行株を禁じて株式会社を停止させた。
 文化人も多大な損害を受けた。南海会社株を購入していた科学者アイザック=ニュートン(1642-1727)は2万ポンド(約1億円相当)の損失を被り、「天体の動向なら計算できるが、人間の狂気までは計算できなかった」と発したと言われている。またバロック音楽家ゲオルク=フリードリヒ=ヘンデル(1685-1759)も投資しており、500ポンドの損失を被った。

 さらに南海会社の政界との癒着も明らかになった。もともと国策会社であったために癒着は必然の状態であったが、株価暴落後、南海会社株を賄賂として収めていた政治家は、南海会社経営陣と共に激しく非難された。当時のホイッグ党政権も崩壊し、社会混乱は激化した。

 この一連の事件は、実体の経済成長以上に価値が上がった状態を泡沫と見立て、膨張した泡沫が見事に弾け散る様子から、「南海泡沫事件」と呼ばれ、現代用語「バブル経済」の語源となった。中身がなく膨張した泡沫は、いずれ本当の実体が分かった時、下落・暴落を通して膨張が終わり、破裂して散っていくのである。これがバブル崩壊である。

 1721年、ロバート=ウォルポール(1676-1745)が首相として就任した(任1715-17,21-42。1515-17は第一大蔵卿だが、内閣の首班として首相の地位に相当する。1721年から正式のイギリス首相)。ウォルポール首相は南海泡沫事件の収拾にあたり、辣腕をふるって経済回復に貢献した。またトーリ党政権への交代を懸念して事件の責任者への追及を緩めたウォルポールだったが、国王ジョージ1世(位1714-27)の愛人も事件責任者の一人であったことで、真相を煙に巻いたウォルポールに対して、ジョージ1世の信頼はさらに高まった。もともとウォルポールはハノーヴァー朝(1714-1901)創設期に、国王ジョージ1世の信任のもとで王政を委任された実力者であり(国王はドイツ語圏出身のため英語を解さず、国政を委任した。「国王は君臨すれども統治せず」は有名)、今回の事件を解決したウォルポールは、政界の第一人者として長期政権を担当することになり、ジョージ1世、さらに次王ジョージ2世(位1727-60)の治世で絶大な信頼を得て、国王ではなく議会に対して責任を負う内閣、つまり責任内閣制議院内閣制)基礎を築いた人物として歴史にその名が刻まれることとなる。

 南海会社を設立したロバート=ハーリーは、暴落後多大な非難を受け国外逃亡するに至ったという。資本主義体制が確立する前におこった、未曾有の大恐慌であった。 


 「世界史の目」、再始動いたしました!!またよろしくお願いいたします。本日は18世紀前半のイギリスが舞台であります。

 近世ヨーロッパの三大恐慌の一つがこの南海泡沫事件です。残り2つですが、1つはオランダの「チューリップ恐慌(チューリップ=バブル)」で、1637年起こった世界最初のバブル経済です。オスマン帝国(1299-1922)から輸入されたチューリップの球根にバブル状に高値がついて、これが弾けて恐慌になるといった事件です。あと1つは本編と同時期にフランスが北米植民地を有していた時代にミシシッピ川一帯の開発計画と貿易を行い、この会社の株式が暴騰してのち暴落したミシシッピ計画事件です。

 当時、南海会社をまねてつくられた会社は異常なまでもいかがわしい、非常に疑わしい会社ばかりだったそうです。株式投資熱はそれほど極限状態にあったのでしょう。石炭を供給する会社や、石けんの製造技術を改良する会社とか、永久に回り続ける車輪を作る会社、極めつけは「それが何であるか誰にも分からないが、膨大な利益を生み出す事業を運営する会社」というのもあったそうですが、話題性に富んでしまいその株式購入も円滑に進行したそうです。信じられない時代です。でも、この事件があったその後18世紀にもたらされるイギリス産業革命の事を考えると、歴史的に意味のある事件だったのかもしれません。

 さて、今回の学習ポイントですが、はっきり言って今回の目玉である南海泡沫事件は受験世界史には全くと言っていいほど登場しません。ですので覚えなくて結構なのですが、バブル経済の語源となったこと、スペイン継承戦争後の事件であったこと、ニュートンやヘンデル、ウォルポールがいた時代であったことなど、関心の高い時代です。ウォルポール、ジョージ1世はハノーヴァー朝関連で、ニュートンやヘンデルはこの時代の文化史関連で覚えて下さい。本編では、ウォルポールは1715年に内閣の首班、つまり第一大蔵卿として就任、1721年に初代首相として就任したと紹介していますが(これが正式)、受験世界史では、ハノーヴァー朝創設直後の1715年がれっきとしたウォルポールの初代首相就任年として覚えて下さい。

 経済関連としては、アメリカ発の世界経済恐慌(1929)は有名です。これも第一次世界大戦(1914-18)の戦勝国として大戦景気をまねいた後に株価大暴落(いわゆる暗黒の木曜日)です。これは受験世界史には欠かせない分野です。

 ちなみにバブル経済についてですが、日本では1985年のプラザ合意で日本が円高になったのが原因でバブル景気(1986.12-1991.2)が訪れます。株と土地への異常な投機で急騰しますが、日銀の金融引き締めによって、1990年以後、崩壊します(平成不況。失われた10年)。この話は機会があれば別件で取り上げたいと思います。

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