世界史の目-Vol.163-

狂瀾(きょうらん)の11年

~貴族の暗躍、流血の宗教改革~

 イングランド・テューダー朝(1485-1603)。1547年、イングランド国教会を導いた国王ヘンリ8世(位1509-47)が没し、彼が残した唯一の王子エドワード6世(1537-53。位1547-53)が9歳で即位した。エドワード6世の治世では、ヘンリ8世支持派プロテスタントのヒュー=ラティマー(1485?-1555)や同じく支持派でケンブリッジ大学教授トマス=クランマー(1489-1556。カンタベリー大司教)らの尽力で、イングランド国教会の教義・規則が書かれた一般祈祷書(共通祈祷書。聖公会祈祷書)がつくられた(1549)。これにより旧教(カトリック)とローマ教会からの脱却策が本格的に行われ、国教会における諸制度が整えられた。

 ヘンリ8世時代では王妃が6度入れ替わったことで有名であるが、エドワード6世は、第3王妃ジェーン=シーモア(1509-1537)の子である。ヘンリ8世には第1王妃キャサリン=オブ=アラゴン(1485-1536。カザリン。スペインのアラゴン家出身)との間に第1王女メアリ(1516-58)、第2王妃アン=ブーリン(1507?-1536)との間に第2王女エリザベス(1533-1603)がいた。
 生前ヘンリ8世は男子継承を望んでおり、また背景にはキャサリン=オブ=アラゴンへの疎遠と当時キャサリンの侍女を務めていたアン=ブーリンとの求婚問題があり、メアリは最初こそ大事に育てられたものの次第に関係が冷え、王女位は奪われて庶子扱いとされ、しかもアン=ブーリンから、自身の子であるエリザベスに従うよう命じられるなど冷遇された(異母であるがエリザベスはメアリの妹である)。またアン=ブーリンの伯父第3代ノーフォーク公トマス=ハワード(1473-1554。公位1524-47,53-54)もヘンリ8世に寵愛された貴族で、アン=ブーリンの結婚計画を支持した。
 ところがアン=ブーリンも姦通罪で1536年斬首刑に処され、第3王妃ジェーン=シーモア(彼女も1537年に病死)が男子エドワードを産んだことで、アン=ブーリンの子エリザベスも庶子として冷遇されるようになった。そこでメアリ、エリザベス、エドワードの教育を任されていた第6王妃キャサリン=パー(1512-48)の嘆願により、1543年にヘンリ8世が王位継承に関する法律を制定し、継承順位は1位エドワード、2位メアリ、3位エリザベスとなり、メアリとエリザベスはヘンリ8世と和解、王女としての身分と王位継承権を回復した(当時王女としての身分が回復したかどうかは疑問の声もあり)。

 エドワード6世の摂政になった伯父のハートフォード伯エドワード=シーモア(1506-1552。ハートフォード伯位1537-52。サマセット公位1547-52)は、エドワード6世の母ジェーン=シーモアの兄であり、摂政と高位からシーモア家の国家的権力を強めていたが、彼の弟で海軍司令長官をつとめたトマス=シーモア(1508?-49)の野心が命取りとなってシーモア家は転落の一途をたどっていく。これはシーモア事件と呼ばれ、トマス=シーモアが王権介入を狙ってエリザベスに求婚しようとした事件である。トマス=クランマーの進言もあり、エドワード6世はシーモア家の行き過ぎた行為に失望して彼等を見限ることにし、1549年にトマス=シーモアは逮捕・処刑、エドワード=シーモアも摂政の地位を剥奪、彼に代わって摂政に就いたウォリック伯ジョン=ダドリー(ウォリック伯位1547-53。ノーサンバランド公位1551-53。軍人出身)によって逮捕され(1551)、翌1552年反逆の罪で処刑された。このため、エドワード6世即位に授爵したサマセット公位も一時剥奪された。一方ジョン=ダドリーはウォリック伯からノーサンバランド公へ昇格した(1551)。

 エドワード6世は病弱のため夭逝の気配が漂うと、ジョン=ダドリーはある策謀を考えた。この頃のジョン=ダドリーはイングランド国教会を基盤に諸行政をなしとげて周囲の支持を取り付け、財産も地位も絶頂の時期に来ていたが、これまでの王位継承順位でいくと、次はメアリである。彼女の母はカトリック国であるスペインの王家の出である。彼女も熱心なカトリック信者である。また彼女はスペイン王子フェリペ(1527-1598。のちのスペイン王フェリペ2世。位1556-1598)との結婚が秒読み段階に来ていた(1554年に周囲の反対をものともせず2人は結婚する)。勢い盛んなスペインのカトリック政策の波にイングランドも呑まれる怖れがあり、ジョン=ダドリーは自分の身も危ういと察知した。そこで1553年、ジョン=ダドリーは自身の六男・ギルフォード=ダドリー(1536-1554)を、テューダー朝初代国王だったヘンリ7世(位1485-1509)の曾孫に当たるジェーン=グレイ(1537?-1554)に結婚させた。そしてこの報告を病床に伏すエドワード6世に伝え、次期王位をジェーン=グレイに指名すると遺言させて、王位継承権を取得させたのだった。そして程なくして、エドワード6世は15歳で崩御し(エドワード6世死去。1553.7)、ジョン=ダドリーはエドワード6世の遺言を発表、ジェーン=グレイを第4代テューダー朝国王として即位させた(位1553.7.10-7.19。在位期間から王として認めない見方もある)。

 メアリは身の危険を感じて、その間、アン=ブーリンの伯父である第3代ノーフォーク公のハワード家に匿われていた。もっとも、第3代トマス=ハワードはエドワード6世の治世間、長男のヘンリー=ハワード(1517?-47)の起こした反逆の罪で父トマス共にロンドン塔に幽閉されていた。メアリにとってトマス=ハワードとは、メアリの母キャサリンの離婚問題の時は敵も同然であったが、エドワード6世の治世となり、王室に執心するハワード家にとって、そして次期国王を約束されたメアリは貴重な存在であり、そもそもハワード家は反国教徒のカトリック信者であったため、メアリを保護するのは当然であった。トマス=ハワードは獄中からハワード家の一族にメアリを匿うように頼んだのである。

 テューダー朝初代国王だったヘンリ7世の曾孫、ジェーン=グレイの即位で、ジョン=ダドリーは摂政として王政を手中に収めることができると鼓舞した。しかし甘くはなかった。にわかにつくられた王室にイングランド議会は紛糾し、カトリック復帰を心配する声はあるものの、メアリを正当な次期王位継承者とし、ジョン=ダドリー政権は無効となった(1553.7.19)。メアリは直後に即位して、メアリ1世となった(位1553-58)。ジョン=ダドリー他ギルフォードら子どもたち、そして10日天下となったジェーン=グレイ前女王は逮捕され、翌8月、ジョン=ダドリーは処刑された(ノーサンバランド公も剥奪)。六男ギルフォードと女王ジェーン=グレイはロンドン塔に幽閉され、翌1554年2月に斬首刑された(この頃、ジェーン=グレイ王政支持派が起こしたワイアットの乱(1554.1-.2)が起こったことで、処刑が決定したとされるが、メアリの婚約条件にジェーン処刑を要求したスペイン側の圧力もあったとされる)。この年、メアリ1世によって釈放された3代目ノーフォーク公トマス=ハワードも病没し、ノーフォーク公は孫が継いだ。

 カトリック国スペイン王・フェリペ2世を夫に持つメアリ1世は、正統と認めたイングランド初の女王となった。母キャサリン=オブ=アラゴンを転落させたアン=ブーリンの娘エリザベスを、妹と思わずに冷遇した。メアリは母の離婚でイングランド国中がカトリックから離れて、国教会に改宗したことに苛立ちを隠せず、国教会教義の無意味さを主張した。エドワード6世の時代に祈祷書がつくられるも、各教区でもカトリックから抜けきれない状態でやきもきしている聖職者がおり、ローマ教皇との関係修復を第一に考えていた。

 そもそもヘンリ8世は離婚を成立させるため、カトリック離脱を決行しカトリックの首長であるローマ教皇と決別した。そして、イギリス国王を首長とするイングランド国教会の設立を果たしたが(1534年国王至上法首長法。いわゆるイギリス宗教改革)、教義がカトリックと同義であることが多く、首長がローマ教皇からイギリス国王に代わっただけだった。
 1554年11月、イングランド議会は国王至上法の失効を決定し、遂にカトリック復帰を決めた。当時ローマ教皇ユリウス3世(位1550-55)の意向により教会財産は戻らなかったが、イングランドでは実に20年ぶりの旧教復帰であった。

 しかしメアリ1世はこれだけでは収まらなかった。母を離婚に追いやったヘンリ8世の支持者、ヘンリ8世にならって改宗したイングランド国教徒を弾圧する策に出た。イングランドの非カトリック教徒は異端とする法律を基に、メアリ1世最大の汚点と評された過酷なプロテスタント迫害が始まったのである。
 老若男女を問わず処刑された殉教者数はおよそ300人、ヘンリ8世を支持してきたヒュー=ラティマーやトマス=クランマーも処刑台の露と消え、メアリの半生で積み上げてきた怨恨の復讐は思わぬ形で爆発した。この過酷な迫害によって、女王メアリ1世は"ブラッディ・メアリ(=流血好きのメアリ)"と呼ばれた。このため、メアリ退位とエリザベス即位を望んだ庶民が反乱を頻発させるようになった。

 1556年、メアリの夫フェリペがスペイン王フェリペ2世として即位した。翌1557年、イギリスはフェリペ2世の要望でスペインの対フランス戦に武力支援を求めた。戦争に加担したイギリスであったが、フランスに敗れて、百年戦争(1339-1453)以来、当時唯一の大陸領土であったカレーを奪われてしまった(1558.1)。このときカレーを奪ったフランス諸侯はギーズ公フランソワ(公位1550-63)である。メアリ王政の信用を失墜させた象徴的事件であった。

 メアリ1世はフェリペ2世と結婚後、懐妊騒動が幾度かあった。しかしそれはメアリ1世の想像妊娠であり、卵巣腫瘍を患っていたため、子孫を残せなかった。結局在位5年余の後、1558年11月にメアリ1世は没した(メアリ1世死去。1558.11.17)。

 メアリが亡くなる前日、彼女が次期後継者として認めたのは、皮肉にもメアリが嫌うエリザベスであった。ローマ教皇はアン=ブーリンの娘をイングランド国王に置くことは反対であり、スコットランド国王だったカトリックのメアリ=ステュアート(1542-87。スコット王位1542-67)を推戴するほどであった。メアリ1世のエリザベスに対する復讐は酷く、前述のワイアットの乱でエリザベスも加担したとして一時ロンドン塔に幽閉されていた時期もあった。しかし反動政策とも取れるメアリ1世の悪政はイングランド国民からは不満が増大し、諸侯も次期国王としてエリザベスを推す声が高まっていたため、メアリ自身も次期国王として認めざるを得なかったとされる。

 1558年11月17日、ついにエリザベスは第6代テューダー朝国王エリザベス1世として即位した(位1558-1603)。エドワード6世が即位した1547年に始まり、メアリ1世が崩御した1558年に終わる、狂い荒れた11年の歴史に幕を下ろし、イングランド国教会に基づいた父ヘンリ8世の政策に原点回帰して、安定した本当のイギリス絶対王政が始まるのである。


 ヘンリ8世がおこしたイギリス宗教改革は王妃との離婚から始まります。これは「Vol.25 宗教改革と6人の王妃」で参照いただくとして、問題はそのツケがヘンリ8世の子どもたちにまわることです。今回はエドワード6世とメアリ1世の治世を中心に彼等をとりまく諸侯の動きも交えてご紹介しました(合間に準国王(?)となったジェーン=グレイ女王もいましたが...)。なんとなくですが、ヘンリ8世の亡霊がどこか出てきそうな、そんなお話でしたね。

 さっそくですが、今回の学習ポイントです。受験世界史で覚えなければならないのは、「Vol.25 宗教改革と6人の王妃」でほとんどお話済みですが、念のため。まずヘンリ8世時代は、カトリックをやめて、イギリス国教会(本編ではより詳細に"イングランド国教会"と称しています)に改革を施します。王妃との離婚をローマ教皇に許してもらえなかったため、教皇と決別したことが発端です。1534年には国王至上法、いわゆる首長法の制定で国教会の首長となりました。ここは大事です。余裕があれば、離婚したキャサリン=オブ=アラゴンも知っておきましょう。娘がメアリで、のちのメアリ1世です。"アラゴン"と名の付くことから分かるように、キャサリンはスペイン出身です。両親は共同統治でスペインを支える王様です。父はフェルナンド5世(1452-1516。アラゴン王位1479-1516(フェルナンド2世として)。カスティリャ王位1474-1504。スペイン王位1479-1504)、母は女王イサベル1世(1451-1504。カスティリャ及びスペイン王位1474-1504)です。この2人も大事なので知っておく方が良いでしょう。
 さて本編の主役の1人エドワード6世の登場ですが、その時代で受験として覚えるところは、エドワード6世本人、そして国教会の教義について書かれた一般祈祷書ぐらいでしょうか。この時代には多くの貴族が出てきましたが、本当に受験世界史には縁がありません。第3代ノーフォーク公トマス=ハワードという人物も出てきましたが、彼はアン=ブーリンと、後に結婚する第5王妃キャサリン=ハワード(1521-1542)の両方の伯父として、王権介入のために姪のヘンリ8世との結婚を策謀する貴族です。この時代の歴史映画などで登場することもあり、ハワード家の有名な人物なのですが、受験にはまず出ることはありません。アン=ブーリンも映画に出るなどして有名なのですが、入試で答えさせる問題は今のところありません。エリザベス1世のお母さんとして本当は超有名な方なんですがね。

 そしてもう1人の主役メアリ1世です。姉メアリ1世、妹エリザベス1世の治世には明暗が分かれます(言うまでもなく前者が"暗"、後者が"明")。肖像画では気丈で強気な女性をイメージさせますが、即位するまでは不遇でした。即位した途端に、これまでの恨みを爆発させたかのような反動政策の数々....受験ではフェリペ2世と結婚したこと、カトリック政策として国教徒を弾圧したことは知っておきましょう。"ブラッディ=メアリ"から由来したカクテル「ブラッディ・マリー」もあります。

世界史の目に戻る
参考文献

Copyright (C) KOBE MANTOMAN SHIDOU SENMON GAKUIN All Rights Reserved.