世界史の目−Vol.17−

ヘレニズム時代(B.C.334〜B.C.30)

  ギリシアのポリスであるアテネ・テーベの連合軍を、カイロネイアの戦い(B.C.338)で敗った強国マケドニアは全ポリスを制圧してギリシア全土を支配するまでに至った。以前の大戦争(ペルシア戦争)でギリシアに敗れたアケメネス朝ペルシア(B.C.550〜B.C.330)もマケドニアに対して警戒していた。時のマケドニア国王フィリッポス2世(位B.C.359〜B.C.336)は、スパルタ以外のギリシア全都市をコリント同盟(別名ヘラス同盟。ペロポネソス半島の商業都市コリント。盟主はフィリッポス2世。)に加盟させ(B.C.337〜B.C.301)、ペルシア軍との戦争に備えた。しかし、ペルシア遠征計画途中に、フィリッポス2世が部下の貴族に暗殺され、彼の遺志は子アレクサンドロス3世アレキサンダー大王。位B.C.336〜B.C.323)に引き継がれた。

 アレクサンドロス3世は13歳の時、父が家庭教師として招いた哲学者アリストテレス(B.C.384〜B.C.322)に政治学をはじめとするギリシア教育を学び、20歳で王位に就いた。B.C.335年には、ギリシアの反対勢力を制圧し、コリント同盟の盟主として、翌年、ペルシア遠征(東征B.C.334〜B.C.324)を実行した。B.C.333年、大軍を率いた大王は地中海東岸イッソスでダレイオス3世(位336〜位330)率いるペルシア軍を敗り(イッソスの戦い)、B.C.332年にはエジプトに進入した。大王は同地のアモン神殿で「神の子なり(=ファラオの後継者)」との神託を受け、世界帝国形成の野望を抱き、アレクサンドリア市を建設した。さらに後退するダレイオス3世の軍隊を追撃するべく、B.C.331年、ティグリス川中流のガウガメラ〜アルベラ間で戦闘を開始(アルベラ・ガウガメラ間の戦い)、ダレイオス3世は敗走した。やがて家臣によってダレイオス3世は暗殺され、アケメネス朝ペルシアは滅亡した(B.C.330)。その間大王はバビロン・スサなど有力都市を次々と占領し、ペルシア王都ペルセポリスを焼き討ちし、いったん東征の終了を宣言した。

 アレクサンドロス3世はさらに東征を実行するべく、ペルシア滅亡後、ギリシア同盟軍を解散させ、ペルシア軍も使用して新たに軍隊を再編成した。バクトリア地方やソグディアナ地方などを征服し、西北インドのパンジャーブ地方まで進み、要地に次々とアレクサンドリア市を建設した(東征完了まで70都市)。しかし、インド侵入の時、部下はこれ以上の進軍を拒み、やむなくインダス川を下って、B.C.324年スサに帰着した。この年が東征の完了となっている。大王は、征服地の統治を旧ペルシア要人や土着民族たちに任せ、またペルシアの国制・社会も吸収し、マケドニア国王としてだけでなく、以前世界帝国として名をとどろかせたオリエント専制君主・ペルシア王としても自覚していった。帰還後も、ギリシアとオリエントの東西文化の融合を試みて、大王自身によるバクトリア王女やダレイオス3世の皇女との結婚、マケドニア人男性とペルシア人女性の集団婚礼など、発展させていった。経済においても、金貨・銀貨の鋳造で貨幣経済が普及し、東西貿易が発展した。しかし、B.C.323年、アラビア遠征を企画途中、大王は熱病のため32歳余の生涯をバビロンで終えた(大王急死)。同時に彼の建設した大帝国は崩壊の路線を辿ることになる。

 大王の死後、大帝国は大王の配下にいた部将が"ディアドコイ(=後継者)"を自称し、領土を奪い合った。戦争では小アジア西部のイプソスの戦い(B.C.301)などが有名である。結局B.C.3世紀前半には、プトレマイオス朝エジプト(B.C.304〜B.C.30。首都アレクサンドリア)・セレウコス朝シリア(B.C.312〜B.C.63。首都前半セレウキア〜後半アンティオキア)・アンティゴノス朝マケドニア(B.C.306〜B.C.168。首都ペラ)の3国が並び立った。しかしセレウコス朝から小アジアにギリシア系のアッタロス朝ペルガモン王国(B.C.241〜B.C.133)、中央アジアに同じくギリシア系バクトリア王国(B.C.255頃〜B.C.130頃)、イラン東北部にはイラン系アルサケス朝パルティア王国(B.C.248頃〜A.D.226)らが次々と独立してシリアの権威は縮小していった。プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、アッタロス朝ペルガモン王国はその後ローマに占領・併合され、バクトリア王国もスキタイ系民族に滅ぼされ、最後に残ったアルサケス朝パルティア王国も、復活したペルシア(ササン朝ペルシア。A.D.226〜651)に滅ぼされていった。こうしてヘレニズム諸国は時代の幕を下ろしていった。

 東征開始からプトレマイオス朝エジプトが滅ぶ約300年間をヘレニズム時代と呼ぶ。"ヘレニズム"とはドイツの歴史家ドロイゼン(1808〜84)の造語で、"ギリシア風文化"の意。またギリシア人がポリス時代に使用した言葉「ヘレネス(=ギリシア人の自称)」にも由来している。

 今回は初登場、ヘレニズム時代です。中心となる国はマケドニアなのですが、アレキサンダー大王がペルシアを滅ぼして大帝国を建設してしまってからは、マケドニアは帝国のごく一部にすぎませんので、あまり存在感はないですね。

 では今回のポイントを。東征時代のおさえておくところは、B.C.334〜B.C.324間であること、イッソスの戦い、アルベラの戦い、ダレイオス3世、B.C.330年にアケメネス朝滅亡あたりでしょう。また同じくらいに試験に出やすいのが、大王死後のディアドコイの部分です。分裂後の3つの国名(プトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニア)は覚えておきましょう。また、どこに滅ぼされたかも知っておいた方が良いですよ。ローマ史でも登場しますので。とくにエジプトが滅んだB.C.30年というのは、あのアクティウムの海戦(B.C.31)によるものです。エジプト女王クレオパトラ7世(位B.C.51〜B.C.30)と組んだアントニウス(B.C.82〜B.C.30)を、後のアウグストゥスとしてローマ帝国を支えたオクタヴィアヌス(B.C.63〜A.D.14)が打ち負かした戦争です。重要ですね。また、パルティアやバクトリアはアジア史にも登場しますが、バクトリアはギリシア系、パルティアはイラン系であることを知っておくと役立つ時があります。

 また本編には登場しませんでしたが、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化は出題の宝庫とされています。従来のギリシア人だけでなく、全世界としての民族意識(世界市民主義。コスモポリタリズム。)が一般的とされた時代で起こった文化です。哲学ではキプロス島出身のゼノン(B.C.335頃〜B.C.263頃)が説いた禁欲主義のストア派とアテネのエピクロス(B.C.342/341〜B.C.271/270)が説いた快楽主義のエピクロス派があります。自然科学では、アレクサンドリア市でおこされました。そして、博物館(museum)の語源ともなった「ムセイオン」(王立研究所)から優れた学者が輩出されました。有名なところでは、平面幾何学を大成したエウクレイデス(ユークリッド。B.C.300頃の人)、浮体の原理を発見したアルキメデス(B.C.287頃〜B.C.212頃。シチリア島シラクサ出身。)、太陽中心説を主張した天文学者アリスタルコス(B.C.310頃〜B.C.230頃)、ムセイオンの図書館長で地球の円周を測定したエラトステネス(B.C.275頃〜B.C.194頃。円周測定は45000km。現在の測量結果の40000kmにほぼ近い測定)などが頻出です。美術では、「ミロのヴィーナス」「ラオコーン群像」など、テレビや雑誌、資料集で一度は目にしたことのある有名作品がこの時代から生まれています。

世界史の目に戻る
参考文献

Copyright (C) KOBE MANTOMAN SHIDOU SENMON GAKUIN All Rights Reserved.