世界史の目-Vol.178-

翠玉の聖島・その2

~イングランドの侵略~

その1~ある伝道師の布教~はこちら

 12世紀後半のアイルランドはイングランド王家・プランタジネット朝(1154-1399)の国王・ヘンリ2世(位1154-89)によって管理された。彼の後も、リチャード1世(獅子心王。位1189-99)、ジョン(欠地王。位1199-1216)、ヘンリ3世(位1216-72)、エドワード1世(位1272-1307)と続くが、彼等は国王に即位すると同時にアイルランド諸豪族の首長にも就任してアイルランド支配を進めたのであった。しかし、この支配も長くは続かなかった。

 アイルランドの諸豪族は部族制に基づく強い権力を有していたことで、イギリスの管理を嫌い、イギリス支配から脱していった。またプランタジネット家のアイルランド支配は東部が中心であったため、全体的統治が完全でなかったこと(拠点となったのが現在の首都ダブリンである)、またこの支配はカトリック管理の要素が濃いこともあり、ローマ教皇の支配権が強くあらわれたものであり、そのせいかプランタジネット朝の歴代イングランド国王はアイルランドよりも本国統治の方に力を入れていたことが挙げられる。14世紀になってもこの傾向は変わらず、エドワード1世の後、エドワード2世(位1307-27)、エドワード3世(位1327-77)、リチャード2世(位1377-99)のいずれの治世においても、エドワード2世はスコットランド問題(バノックバーンの戦役)、エドワード3世およびリチャード2世は百年戦争(1339-1453)やワット=タイラーの乱(1381)などで混乱していたことから示される。

 さらに15世紀、1399年のリチャード2世廃位により開かれたランカスター朝(1399-1461)の時代においても、薔薇戦争(1455-85)の勃発、また内戦相手のヨーク朝(エドワード3世の家系。1461-85)への王朝交代、そしてテューダー朝ヘンリ7世(位1485-1509)創設。1485-1603)への交代と、国内の混乱が激化したため、実際アイルランド問題どころではなかった。テューダー朝が開かれた頃はすでにアイルランド管理は形だけとなり、アイルランドはイングランドから完全に解放された状態であった。しかしイングランドの王室はアイルランド管理を捨てることは決してなかった。

 続くアイルランド問題がわき起こったのは1534年、つまりテューダー朝第2代国王ヘンリ8世(位1509-47)がキリスト教においてローマ教皇と決別する国王至上法首長法)を発布した年である。この発布により、当時カトリック教会に染まっていたアイルランドにおいても、少しずつ国教会化が進められていった(アイルランド国教会)。ローマ教皇、つまりローマ=カトリック教会と決別してイングランド独自のキリスト教・イングランド国教会を成立させ、国王自ら国教会の首長を称したことに対し、ローマ教皇がアイルランドを管理することは不適であるとした。これでアイルランド管理はローマ教皇が行う必要がなくなったわけである。そこでヘンリ8世は、アイルランド議会(ウラクタス)の決議のもと、1536年にアイルランド国教会の首長となり、1541年、正式にアイルランドを王国化して自ら同国の王に即位することになった(第一次アイルランド王国の誕生。1541-1649。アイルランド国王ヘンリ8世。王位1541-47)。アイルランドの本格的な征服はヘンリ8世の治世において始まったと言って良いだろう。

 しかしアイルランドでは、その後のイングランド国教会の圧力を避けながらも、カトリック教会を頑なに守り続けていった。ヘンリ8世没後に即位したエドワード6世(英(イギリス)・愛蘭(アイルランド)王位とも1547-53)の治世では一般祈祷書(1549)によってイングランド国教会の教義が明確化され、イングランド国教会の勢力はますます強くなっていった。これにより同時に当時はまだ若く未熟で病身の状態であったイングランド王並びにアイルランド王のエドワード6世も王権絶対化を維持させることができた。こうした王権強化が展開される中で、イングランドにおけるアイルランドへの植民活動は着々と行われた。女王メアリ1世(英・愛王位とも1553-58)の治世では、彼女がカトリックだったためアイルランドにおいても一時的にカトリックは守られたものの、彼女没後に即位したエリザベス1世(英・愛王位とも1558-1603)は父ヘンリ8世の遺志を継いでイングランド国教会を完全確立・定着させたことで(1559。統一法)、アイルランドへの征服活動は再燃した。

 しかしこの征服活動に抵抗するため、アイルランドの諸豪族は反乱を起こした。16世紀末期のイングランドは1588年スペイン相手に無敵艦隊を壊滅させたが、アイルランドに至ってはこの反乱鎮圧に多大な時間と費用を費やした。エリザベス1世は1603年に没し、テューダー家は断絶、スコットランド王ジェームズ6世(位1567-1625)がイングランド王ジェームズ1世として即位した(位1603-25)。テューダー朝に代わるイングランドの新王朝・第一次ステュアート朝の誕生である(1603-49)。ジェームズ1世は同時にアイルランド王としても即位した(位1603-25)。

 ジェームズ1世は王権神授説を用いて絶対王権の安定維持に努め、また国教会の重要性を主張して国教会の監督制度を充実させたため("監督なくば国王なし")、カトリックのみならず、当時イングランド国内に広まっていたプロテスタント、清教徒(ピューリタン)への反感を招いた。また彼はカトリック勢力が依然と多いアイルランドにおいても、歴代のイングランド国王が行ってきた遠征活動を続行した。そして、ジェームズ1世の代になって、アイルランド島における全豪族の管理支配はほぼ完了し、いちおうの全島統一をみた(しかし諸豪族との対立は続く)。これまでのイングランド入植者のみならず、スコットランド入植者も続々と移住を始め、アイルランドのカトリック勢力はますます片隅に追いやられる状況であった。

 ジェームズ1世が没し、即位した次男チャールズ1世(英・愛・蘇格蘭(スコットランド)王位とも1625-49)は父同様に王権の絶対化を最優先し、議会の無視、ピューリタンの弾圧、スコットランドの宗教的圧力などを行ったが、これがピューリタン革命(1642-49)につながっていき、チャールズ1世の運命を左右する結末を迎えるのである(1649。チャールズ1世処刑)。この間アイルランドでは混乱に乗じてカトリック勢力の抵抗運動が始まった。まず1641年アルスター地方(アイルランド北東部)のアイルランド農民が武装蜂起し、非カトリックのイングランド入植者を多数殺害した。この事件からアイルランドのカトリック勢力の結束力が高まり、アイルランドの地主や聖職者を中心にアイルランド南東部のキルケニーでカトリック教徒の同盟が組織され(1641年発足。アイルランド・カトリック同盟)、憲法を制定して議会を開いた。

 チャールズ1世は絶対王政を守るために国教会政策を重視するのだが、王妃がカトリック教徒出身であることに目を付けたアイルランド・カトリック同盟はまだ付け入る隙があると考え、何度もカトリック教徒の緩和を要請したのだが交渉はまとまらず、結局この動きがイングランドを刺激させ、スコットランドを引き連れてアイルランドへ攻撃を仕掛けることになる(1646)。ところが戦局は思わぬ展開を見せ、小村ベンバーブ(北部のティロン州)においてアイルランド・カトリック同盟が劇的な勝利を飾り(アイルランド・カトリック同盟戦争)、チャールズ1世もカトリック緩和を認める方向へ向かった。
 これでアイルランド・カトリック同盟が優位に動くと思われたが、1649年、国王チャールズ1世が処刑されステュアート朝が断絶、ピューリタン革命を完成させた独立派議会派の1つ。革命側)のオリヴァー=クロムウェル(1599-1658)の登場でいっきに状況が変わっていくのである。

 国王処刑によってステュアート王政が廃止となり、オリヴァー=クロムウェルを初代護国卿(ロード・プロテクター。政治・軍事の最高官職)とする共和政(1649-60。コモンウェルス。クロムウェルの護国卿就任は4年後の1653年。1653-58)が敷かれ、クロムウェルの軍事独裁国家が誕生した。これにより、アイルランド・カトリック同盟をはじめとするアイルランドの運命は大きく動かされていくのであった。


 アイルランドを紹介するには決して避けては通れないイギリス王朝史があります。今回は過去にもたくさん紹介してきました、プランタジネット朝から第一次ステュアート朝までの歴代の王も登場させ、アイルランドとの関連を見てまいりました。前回でもお話ししましたとおり、高校で覚えるアイルランド史はメインで登場はないものの、通史・テーマ史関わらず大学入試に出題されやすい、非常に重要な分野であるといえます。

 それでは、今回の学習ポイントです。本編後半に登場したアルスター地方は、現在においても宗教的対立は続いており、大きな問題となっています。いわゆる北アイルランド問題といわれるものです(今後この場で取り上げます)。こうした問題の発端と経緯は非常に根深く、複雑に入り組んで、結果現在に至るまで長い歴史を形成してきました。エリザベス時代の後半より激化したイングランドの入植活動によってアルスター地方は緊張状態に包まれます。実は難関私大でこの時期を題材にして出題されたこともあり、アルスターを答えさせました。この地名は今後のシリーズでも登場しますので覚えておいて下さい。
 テューダー朝との関連では、ヘンリ8世時代にアイルランドを王国化してイングランド王がアイルランド王を兼ねることになっています。同君連合と言うには無理矢理って気がしますが、本当の同君連合で覚える必要があるのはイングランドとスコットランドの連合で、ステュアート朝を創始したイングランド王ジェームズ1世は、スコットランドではジェームズ6世の名前で君臨しています。是非とも知っておきましょう。またジェームズ1世の母はエリザベス1世に疎まれて処刑されたスコット女王のメアリ=ステュアート(位1542-67)という人物です。余裕があればこれも知っておきましょう。

 イングランド王朝史に関しては、それぞれの項で取り上げております。そちらを参考にして下さい。

 さて、クロムウェルの登場で、アイルランド情勢は大きく変化します。続きは次回にて。

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