世界史の目−Vol.18−

古代の朝鮮半島

  古代中国の殷王朝(いん。B.C.2千年紀前半〜B.C.11C)の最後の王・紂王(ちゅうおう。?〜B.C.1027頃)の叔父に当たる箕子(きし)が、殷滅亡後、朝鮮の平壌地方に箕子朝鮮(きしちょうせん。?〜B.C.190頃)という部族国家を建設したという伝説がある。朝鮮における最初の国家である。同国の王に仕えた中国からの亡命者衛満(えいまん。生没年不明。)は、B.C.190年頃、箕子朝鮮の王位を簒奪して衛氏朝鮮(えいしちょうせん。B.C.190頃〜B.C.108。首都は王険城。現・平壌)を建国した。この頃に建った朝鮮半島の部族国家は古朝鮮(こちょうせん)と呼ばれる。

 衛氏朝鮮は3代約80余年にわたって朝鮮を支配してきたが、B.C.108年、中国の大王朝・前漢(B.C.202〜A.D.8)の武帝(ぶてい。位B.C.141〜B.C.87)による攻撃を受け、滅亡した。同年、武帝は朝鮮北部に楽浪郡(らくろうぐん。〜A.D.313)、真番郡(しんばんぐん。〜B.C.82)、臨屯郡(りんとんぐん。〜B.C.82)、玄菟郡(げんとぐん。〜A.D.4C初)の朝鮮4郡を設置し、同地は前漢の直轄地となった。

 中国の東北地方では、ツングース系の夫余族(扶余族。ふよぞく)がB.C.37年頃(?)に高句麗(こうくり。B.C.37?〜B.C.668)を建国した。高句麗は次第に朝鮮半島北部へ進出し、313年楽浪郡を滅ぼして、同地を領有した。第19代王・広開土王(こうかいどおう。好太王。こうたいおう。位391〜412)の時、領域は朝鮮半島中部にまで及び、次の長寿王(ちょうじゅおう。位413〜491)の時、首都を丸都城(がんとじょう。現在の中国吉林省集安。鴨緑江(おうりょっこう)中流)から平壌(ピョンヤン)に遷都し(427)、高句麗の全盛期を迎えた。

 朝鮮半島南部では、アルタイ語系ともいわれている韓族が、3世期頃馬韓(ばかん。西南部。)、辰韓(しんかん。南東部)、弁韓(べんかん。馬韓と辰韓の間)の三韓をおこした。三韓はそれぞれ小部族国家群をおこしていたが、4世紀半ばに統一が進んで、馬韓は百済(くだら。ひゃくさい。345頃〜660)となり、辰韓は新羅(しらぎ。しんら。356〜935)、弁韓は加羅(から。任那。にんな。みまな。伽耶。かや。4C後半〜562)となって成立した。加羅は日本・大和政権の半島進出の拠点ともなったが、562年新羅に滅ぼされ、結局朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の3つの大国を中心に形成された(三国時代。〜7C)。

 中国・581〜618)の時、皇帝煬帝(ようだい。位604〜618)は、3度の高句麗遠征を強行した(第1回610、第2回612、第3回614)が、高句麗によって阻まれ、遠征は失敗した。次の618〜907)の高宗(位649〜683)は、新羅の武烈王(ぶれつおう。太祖。位604〜661。)と組んで、660年百済の首都泗沘城(しびじょう)を陥落させ、百済を滅ぼした。百済の遺臣は日本に再興の援助を求め、663年、日本の水軍は朝鮮へ赴いて唐・新羅の連合軍と錦江(きんこう)河口の白村江(はくそんこう。はくすきのえ。)で戦い、大敗し、日本の朝鮮政策は挫折した(白村江の戦い)。さらに唐と新羅の連合軍は高句麗も滅ぼしたが(668)、その後は唐と新羅との間に、7年近くにわたって抗争が続いた。676年、新羅は唐勢力を一掃し、朝鮮半島を統一させた(統一新羅樹立)。統一後、慶州(金城。きんじょう。)に都を置いたが、慶州は仏教文化が大いに栄え、仏教寺院の仏国寺の石造多宝塔や、石窟寺院の石窟庵(せっくつあん)など、多くの傑作を残した。また半跏思惟(はんかしゆい。足を組んで、手を頬に当てて考える姿)に代表される金銅仏は、日本の飛鳥文化にも伝わった。また体制は律令制度を主とし、郡県制を採用、また骨品(こっぴん)と呼ばれる身分社会制度を確立し、平和がおとずれた。しかし8C後半から王位継承をめぐって内紛が激化し、地方の有力豪族は後百済(892〜936)・後高句麗(901〜936)をそれぞれ興し、新羅・後高句麗・後百済の後三国時代になっていく。

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 初登場の朝鮮半島です。今回は7世紀頃までの朝鮮半島を記述させていただきました。世界史分野でも日本史分野でも重要ですね。まず、古朝鮮ですが、箕子朝鮮はまず出題されませんが、衛氏朝鮮の方は、世界史分野の前漢時代のところでたびたび出てきますので注意してください。また日本史分野では、後漢(A.D.25〜220)末、遼東の豪族・公孫氏が楽浪郡の南半分を割いて帯方郡(たいほうぐん。A.D.204頃〜313)を置いたことも知っておきましょう。

 両分野の試験によく出るのはやはり高句麗・新羅・百済の三国時代でしょう。まず、位置関係を覚えておいて下さい、朝鮮半島北部に高句麗、半島西南部に百済、半島南東部に新羅です。また前身の三韓も知っておくと何かと役立ちます。韓(んかん)→羅(んら)は"し"つながりです。また高句麗の長寿王が建てた広開土王の石碑はかなり有名で、その碑文には百済との戦いや日本(倭)の半島進出など、重要な史料が記されています(ただ碑文の解釈は原文歪曲の疑いもあるらしいです)。

 新羅はこの後王健(おうけん。太祖。位918〜943)が創始した王朝高麗(こうらい。918〜1392。Koreaの語源。首都開城)によって滅ぼされます(935)。結局、高麗によって半島が統一され、後三国時代は終わりました。高麗の後は李成桂(りせいけい。位1392〜98)によって李氏朝鮮(李朝。1392〜1910)がおこされ、首都漢城(現ソウル)が繁栄しました。その後豊臣秀吉の侵入(1592〜93、97〜98)などを経て、日本の韓国併合(1910)で朝鮮の王朝史は幕を閉じます。

(注)UNICODEを対応していないブラウザでは、漢字によっては"?"の表示がされます。泗沘城(しびじょう)→へんはさんずいで、つくりは"比"

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