世界史の目-Vol.182-

翠玉の聖島・その6

~王冠なき国王と自治法案~

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-Vol.178- その2~イギリスの侵略~はこちら
-Vol.179- その3~残酷な征服~はこちら
-Vol.180- その4~反撃と合併~はこちら

-Vol.181- その5~オコンネルの魂~はこちら

 アイルランドは1801年からイギリスと連合体制をとった(グレートブリテン及びアイルランド連合王国1801-1927)。しかしアイルランドでは住民による自治獲得、完全解放、国家独立が強く叫ばれていった。19世紀のアイルランドはまさに解放・独立運動の幕開けとなり、イギリス政府にとって"のどに刺さった骨"と言われるようになった。1848年には自治・独立・解放を主張する青年アイルランド党が武装蜂起した(1848-49)。この蜂起は失敗したものの、この10年後にアメリカのアイルランド移民を中心に設立されたIRBアイルランド共和主義者同盟。共和兄弟団。Irish Republican Brotherhood)が1867年に暴動を起こした。またIRBと同様アメリカで結成され、外部からアイルランドの独立を訴えたフィニアン団体(フェニアン団体)と呼ばれる秘密組織が1866年から71年にかけてアメリカ・カナダで武装蜂起を起こし(フィニアン襲撃。計5回)、脅威をもたらした。

 このような事態を受けたイギリス・ウィリアム=グラッドストン政権(イギリス自由党。首相任1868-74,80-85,86,92-94)は、アイルランド情勢の安定化に努めた。グラッドストン率いる自由党は、イギリス帝国主義の見地から植民地支配を強化することに反対であり(小英国主義)、領土の拡張と植民地経営の負担軽減を強く求めていたことから、アイルランドにおける諸問題の解決に尽力した。
 まず、かつてのカトリック教徒解放法(1829)施行後も、未だに消え失せずに残っている宗教差別を改善するため、アイルランド国教会を廃止した(アイルランド国教会廃止法。1869年可決。1871施行)。続いて、アイルランド土地法(1870。改定1881,1885,1891,1903)といわれる土地改革・補償制度を施し、アイルランド小作農の保護・解放に尽力した。

 アイルランドでは1879年には土地同盟(アイルランド全国土地同盟)が結成され、小作人保護と自治権獲得にむけて政治運動が展開された。この運動のスローガンは"3F"と呼ばれ、それは"Fixity of Tenure(土地保有の定着)"・"Fair Rent(公正な地代)"・"Free Sale(自由な土地売買)"であった。この動きは自国の自治を掲げたアイルランド国民党(Irish Nationalist Party)の議会台頭が大きい。この政党を牽引していたのはチャールズ=ステュアート=パーネル(1849-91)という人物で、1875年に議員に選出されて以降、常にアイルランドの自治を求めてきた。土地同盟設立に大きく関わったのもパーネルである。1880年に党首となったパーネルは国民党をアイルランド議会党(Irish Parliamentary Party)として再編し(1882)、独自の規律や誓約を設けて党員を強化し、自治獲得を強く主張したのである。そして、パーネルはアイルランドの自治成立を前提に動く人々のみを全国的に組織化し、議会党に組み入れていった。それはかつてのダニエル=オコンネル(1775-1847)以上の強力な組織であった。そして、アイルランド議会党がグラッドストン政権及びイギリス自由党を支持することを条件に、パーネルはアイルランド自治法案の成立を迫った。こうして、パーネルの偉業はたちまちアイルランド国民より多大な支持を得、グラッドストン首相も「今まで出会った中でで最も非凡である人物」と言わしめ、土地改革・自治獲得におけるアイルランドの英雄となった。アイルランド国民からは"無冠の国王"と呼ばれ、崇拝された。

 こうした背景からグラッドストンはパーネルと結びついて、1886年の第三次政権のとき、アイルランド自治問題の解決に向けて、アイルランド自治法案を提出した。しかし自由党内部において、当時下院議員のジョセフ=チェンバレン(1836-1914)ら自治反対者が離党するという内紛に遭い(離党者は"自由統一党"を結成)、結局同案は否決され、内閣も瓦解して一時保守党に取って代わられた(1886-92)。  

 パーネルはその後も土地改革と自治獲得に努めていたが、しかしある事件をきっかけに彼はいっきに凋落へと向かう。それは、不倫であった。パーネルは同じ議会党議員ウィリアム=オシア(1840-1905)の妻キャサリーン(1846-1921)と同棲しており、しかもパーネルとの間に3人の子がいた。ウィリアムはキャサリーンとの離婚を決めたが(1890)、キャサリーンとパーネルを共同被告として訴訟を起こしたことから、パーネルの転落が始まった。
 キャサリーンは"キティ(売春婦の意味)といった蔑称を付けられ、またグラッドストン首相も自由党議員から圧迫を受けるなどしたため、パーネルとの距離を置き始めた。そしてパーネルが議会党党首にいる間はグラッドストン政権との連携はないと表明した。これにより、議会党内ではパーネル辞任にむけて分裂状態となった。
 パーネルの辞任劇をいっそう加速させたのは、アイルランドのカトリック教会である。聖職者たちは偉大なる議会党党首のスキャンダルは立派な姦通罪であるとしてパーネルを批判したのである。結果、パーネルは党首を辞任した。
 辞任後、パーネルは復権にむけてフィニアン団体と手を組もうとしたり、何度も補欠選挙に出馬するなど力を尽くしたが、すべては失敗に終わった。アイルランド各地で遊説を行ったが、ここでも人気の回復とはいかなかった。雨中での演説が原因で健康を害して以降は、思うような行動が取れないでいた。そして1891年6月末、アイルランドのカトリック教会から非難を受ける中で正式にキャサリーンと結婚したパーネルは同年10月、長年愛したキャサリーンに看取られながら病没した(パーネル死去。1891)。

 パーネル没後もアイルランド自治法案は第四次グラッドストン政権(任1892-94)のもとで続けられた。グラッドストンは再度アイルランド自治法案を提出し下院通過を決めたが(1893)、今度は上院に否決され失敗、またも退陣となる。80歳半ばにかかるグラッドストンにとってこれが限界であった(1898年、88歳で没)。
 そして、3回目の法案提出を決めた時、自由党はハーバート=ヘンリー=アスキス政権(任1908-16)であった。アスキス首相は第一次世界大戦開戦(1914)時の首相で、念願の自治法案成立を果たしたものの、大戦勃発のため施行延期が決定された。アスキス政権は戦争が短期に終わると想定していたための処置であった。しかしその決断が、アイルランドにただならぬ動揺が起こることになる。


 今回はアイルランド問題でよく出題される19世紀についてご紹介しました。アイルランドがイギリスの連合国となって以降、19世紀のアイルランド問題はイギリス内政の"のどに刺さった骨"あるいは"ガン"と呼ばれ、イギリス自由党内閣、特にグラッドストン首相はこの問題に全力を尽くします。

 そこで、いきなり受験生への学習ポイントですが、アイルランド自治法案が取り沙汰されていた当時のヴィクトリア時代(1837-1901)、イギリス政府は自由党(旧ホイッグ党)と保守党(旧トーリ党)が交互に入れ替わる状態が長く続きました。自由党こそグラッドストンが4期つとめますが、保守党はベンジャミン=ディズレーリ(1804-81。任1868,74-80。2期)とソールズベリ侯爵(ロバート=ガスコイン=セシル。第3代目侯爵。爵位1868-1903。首相任1885-86,86-92,95-02。3期)が登場します。特に自由党グラッドストン政権の対抗としてよく出される保守党ディズレーリ政権は要チェックですね。まずはここからお話ししましょう。

 自由党グラッドストン政権で行われた政策で最も有名なのは1867年の第3回選挙法改正です。農業労働者・鉱山労働者に選挙権を付与したことで有権者がほぼ倍増しました。そして次に有名なのが本編で話したアイルランド政策の、アイルランド土地法とアイルランド自治法です。実施されたのは土地法の方です。自治法案はここが大事ですが、グラッドストン政権期では1886,1893の2回が議会にかけられますが、結局は成立しなかった、といった内容を問題に出されることがありますので注意です。3回目(1914)は自由党アスキス政権まで待たされ、念願の法案成立を果たしますが、第一次世界大戦の勃発で施行は中断しました。アスキス首相の名も用語集にあります。
 あと、他のグラッドストン内政では1870年の教育法(これで公立学校が増加)、1871年の労働組合法(労働組合の合法化)があり、センター入試でも登場したことがあります。

 保守党ディズレーリ政権で行われた政策は本編とは無関係となってしまいますが、受験には必要なので申し上げましょう。最も有名なのはスエズ運河株買収と(1875。エジプトから買収)とインド帝国成立1877)です。

 上記からみてもお分かりのように、イギリス二大政党時代はその政策によってくっきり区別できます。自由党は内政重視、アイルランド自治を支持、植民地反対(小英国主義)、あと自由貿易主張といった自由主義的改革が多く、産業資本家が基盤となっております。一方保守党は外政重視、アイルランド自治は反対、植民地拡大(大英国主義)、そして保護関税貿易主張という伝統を守る改革で、貴族や地主層が基盤です。覚えておきましょう。

 そして、今回の主役と言ってもイイ人物、アイルランド自治法案に尽力し、"無冠の国王"と呼ばれたパーネルですが、受験にはまず登場しない人物です。前々回のグラタン(1746-1820)、前回のオコンネル(1775-1847)ほど覚えなくてもよい人物ですが、色々と興味深い人物ですね。あのグラッドストンを唸らせた人ですから、相当有能な人物だったのでしょう。

 さて次の舞台は、アイルランドでも非常に重要な1910年代に突入します。アイルランドで起こったただならぬ動揺とは?そして、自治法案は成立するのか?実はこの動揺が起こるまで、アイルランドでは本編以外でもいろいろな動きがありました。いろいろな組織が生まれています。このあたりは次回第7話で詳しく。お楽しみに。

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