世界史の目-Vol.200-

聖なる祭典

 ギリシア本土北辺の標高2917メートルのオリュンポス山は、ギリシアの最高峰である。インド=ヨーロッパ語族の全能の神であり、ギリシア神話の神々の主神であるゼウス(英語名:ジュピター。ラテン語名:ユピテル)は、ギリシアのオリュンポス十二神の王であり、他の11の神々とともに、オリュンポス山頂に鎮座するといわれている。そのゼウス神の神域で、ギリシア南部、ペロポネソス半島西北部のエリス地方(エーリス。古代ギリシアのポリスの1つだった。現在のイリア)にあった都市オリュンピア(オリンピア)で紀元前5世紀にゼウス神殿が建立された。ゼウス神殿の奥には、世界七不思議の1つであるゼウス神の巨大座像が彫造されたといわれ、これはアテナイ(アテネ。古代ギリシアのポリスの1つ)のパルテノン神殿建設の総監督をつとめたフェイディアス(ペイディアス。B.C.490/485?-B.C.430?)によって制作されたとする説がある。

 このオリュンピアではゼウスを祭神とする競技会が4年ごとに開催されていた。これが古代オリンピックで、オリュンピア競技とも称される。神話上では、ホメロス(B.C.8C頃)の叙事詩『イリアス』の英雄アキレス(アキレウス)が、トロヤ戦争(トロイヤ戦争)で陣没した友人パトロクロスの死を弔うため葬送競技を行ったのが、オリンピックの起源であるとされている。他にも英雄ヘラクレスによる開催説など、諸説多い。オリンピアで最初に開催されたのは、紀元前1584年であるという。これはオリンピアに出土した円盤に刻み込まれた碑文によるものである。
 紀元前884年にあったとされるオリンピック伝説としては、次の内容がある。この頃エリスは戦争によって国土が荒廃し、流行病が蔓延して人口が減少し、オリンピア競技も長く行われていなかった。この時エリスの王イピトス(イフィトス)がデルフォイデルフィ)のアポロン神殿で、"戦争をやめてオリンピア競技を復興させよ"との神託を受けた。この結果、戦争相手であった敵ポリスのスパルタやピサ(ペロポネソス半島西部のポリス?)と休戦協定("聖なる休戦")を結ぶことになり、競技会が開催されたということである。この時、エリスのイピトスと協定にあたった、スパルタの全権代表は、スパルタの国家体制、いわゆるスパルタ式軍国主義を確立させたと言われる伝説的立法者リュクルゴス(伝説上の人物。B.C.9C頃-7C頃間の人物)であるという。ピサ代表はクレオステネスという王だった。休戦協定の有効期間は、オリンピック開会の一週間前から閉会して一週間後までである。それでも競技を中断して戦争を続行するとなると、協定違反はもちろんのこと、神託にそむいた冒涜的行為とみなされたのである。ただしポリスが確立される紀元前8世紀より前の、暗黒時代とされた時期であるため、詳細はあまり明らかではない。

 記録が残っている古代オリンピックで最古のものは紀元前776年開催の競技会で、これが古代オリンピックの第1回とされている。ここでは「スタディオン走」という競技が行われた。"スタディオン"とは長さの単位であり、太陽が地平線上に現れてから離れるまでに、人間が砂漠で太陽に向かって歩く距離とされた(地域によって一定しないが、だいたい170~200メートル内と推定されている)。競技場がスタディオン単位で設計されたことで、"スタジアム(=競技場)"の言葉が誕生する。この種目ではエリスの陸上選手コロイボス(生没年不明)が優勝した。
 初期はスタディオン走や馬を走らす戦車競走が中心であったが、紀元前708年の第18回大会ではやり投げ、砲丸投げ、走り幅跳び、レスリングが加わった。これにスタディオン走をくわえた5つの競技がペンタスロン(五種競技。近代五種)の始まりとされている。また他にもボクシングやパンクラチオン(格闘技の一種)などもその後の競技種目として加わった。

 紀元前5世紀ではペロポネソス戦争期(B.C.431-B.C.404)であったが、祭典は続けられた。ギリシアの抒情詩人ピンダロス(B.C.518-B.C.438)がオリンピック祝勝歌を多く残した。また医学の父ヒポクラテス(B.C.460?-B.C.375?)は、競技で負傷した参加者に対してマッサージや治療を行っていたとされる。紀元前4世紀になると、スパルタ王アルキダモス2世(位B.C.476-B.C.427)の娘キュニスカ(クニスカ。B.C.440?-?)が戦車競走において、女性として初めての優勝者となった。オリンピックの祭神ゼウスは男神であるが故、競技参加者は男性のみで行われ、女性は参加できなかったが、戦車を使った競い合いは競技者ではなく戦車の持ち主に勝敗がもたらされるというルールがあったため、このようなケースが発生した。

 紀元前3世紀以降、ギリシアはローマの進出により、徐々にローマの征服地となっていった(B.C.146年、ローマはギリシアを属州化)。このため、オリンピックはローマ管理下で行われた。ルキウス=コルネリウス=スラ(B.C.138-B.C.78)はオリンピア競技をローマで開催し(B.C.80)、ローマ帝政(B.C.27-A.D.395)になってからも続行された。紀元後ではネロ帝(位54-68)が参加したが、彼は個人的都合により開催年を2年ずらし、参加競技は強引に優勝を認めさせられるなど不正・横暴が多かった。ネロ参加のオリンピックは、実施年が替えられるなど神域が侵された祭典であるため、古代オリンピックの正式記録とは認められないという見方がある。そもそも紀元後になってからはオリンピックそのものの腐敗が進んでおり、たとえば優勝特典欲しさのあまり、競技審判に賄賂を積む者が現れるなど、聖なる祭典とは言い難かった。

 オリンピア競技はローマ皇帝テオドシウス1世(位379-395)の時代まで続いた。彼のキリスト教国教化勅令によって、神道の祭典であるオリンピックは異端・邪教として禁止された(393)。結果的に古代オリンピックは300回近く開催されたといわれる(正式記録は293回)。公式記録で紀元前776年に開催された古代オリンピックは1169年の伝統を残し、完全に幕が下ろされることとなった。

 近代になって、帝政が開始されたドイツ(ドイツ帝国。1871-1918)で、学術隊によるオリンピア発掘作業が行われたが(1874-86)、これに刺激を受けたひとりのフランス人少年がいた。この頃のフランスは、ドイツとの戦争に敗北して衰えが著しく(普仏戦争。1870-71)、フランス国民は自身の憂国に憐れむ毎日を過ごしており、この少年も同様であった。この少年は古代オリンピックの"聖なる休戦"協定と同様、祖国の荒廃を見たときに、戦いを止めて平和を願うための聖なる祭典、つまりオリンピア競技の復活を願ったのである。この人物こそ、ピエール=ド=クーベルタン(1863-1937)であり、1892年、"ルネサンス・オリンピック"と称したパリ大学ソルボンヌ講堂での講演で、オリンピック復活の構想を主張したのである。賛同者を求めて世界中を渡り歩いたクーベルタンは、苦難を経て、1894年、スイスのローザンヌにてIOC(International Olympic Committee。国際オリンピック委員会)を設立した。
 クーベルタンはパリで第1回オリンピック(古代オリンピックに対して、近代オリンピックと呼ぶ)を開催する計画を考えていたが、ギリシアの実業家でクーベルタンのもつオリンピズム(スポーツを通じて身も心も鍛えていけば、国際的な友好と平和が実現されるという思想)に共鳴したディミトリオス=ヴィケラス(1835-1908)のすすめで、歴史的ゆかりのあるギリシアのアテネでの開催を決定した。次回開催地からIOC会長が選ばれるというIOCの規定により、ヴィケラスは初代会長(任1894-96)となった。

 して1896年、アテネで第1回夏季オリンピックが開催された(第1回アテネオリンピック)。当時は男子選手のみの参加で、競技日程10日間と短期間であったが、およそ1500年ぶりの復活に多くが歓喜乱舞し、大成功に終わった。クーベルタンはIOC2代目会長に就任(任1896-1925)、4年後の第2回はクーベルタンの祖国フランスで行われ(第2回パリオリンピック)、クーベルタンの夢は次々と実現の方向に向かっていった。

 IOC設立20周年を記念し、1914年にはクーベルタンの考案でオリンピックのシンボルである五輪マーク外部リンクから引用)が発表された。1924年にはフランス東部のシャモニーで第1回冬季オリンピックが開催された(第1回シャモニーオリンピック)。その後クーベルタンはIOC終身名誉会長に選ばれ(1925)、男爵に叙された。

 近代オリンピックの父と崇められたクーベルタンは1937年、74歳で生涯を終え、遺体はローザンヌに埋葬された。しかし遺言により、彼の心臓だけは、オリンピック発祥の地、エリスのオリンピアに埋葬されたのであった。


 遂に記念すべき連載200回を迎えました。前身の神戸校時代である2004年8月31日「高校歴史のお勉強」としてスタートしましたが、2009年に神戸マンツーマン指導専門学院となって、タイトルも「世界史の目」に変わりました。足かけ7年、よくもまあ続いたなあと、我ながら驚いています。ただ途中、幾度となく充電期間を作っていますので、7年というのは多少インチキではあります\(_ _;)。
 とはいえ、世界史はいろいろなアングルから探ることが可能で、この可能性を見つけることも非常に楽しくて、これが200回も続けられる要因なのではと思っておりますが、次は300回を狙って(?)、頑張ってみますかね。幾度となく充電期間を置きながらですがm(_ _)m
 しかしながら、やっぱりここまで続けられたのは、いつも更新を楽しみに待っていただいている読者のみなさまのおかげであります。皆様がいなければ、成り立たなかったと思います。多大に感謝いたしますとともに、今後ともどうぞ宜しくご愛顧願います。

 さて、200回目の「世界史の目」はオリンピックをテーマにご紹介しました。クーベルタンの言葉、"オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある(1908。第4回ロンドン大会)"からも分かるように、争いを終わらせ、平和的解決をスポーツに求めた彼の精神が、19世紀末に具現化されたわけですが、クーベルタンのこの精神ははるか古代のデルフィのアポロン神託にルーツがあるわけです。つまり本編にあった、"聖なる休戦"です。

 なお、オリンピック優勝者は、優勝の証としてオリーブの冠を授与されました。ゼウスに捧げられた"オリーブの冠"に対し、アポロン神に捧げられたのが"月桂冠(げっけいかん。これを乾燥させた香辛料がローリエ)"です。古代ギリシアでは古代オリンピックの他にアポロンを祭神とする"ピューティア"といわれる4年に一度の祭典がデルフォイであったそうです。この競技会はオリンピックのように体育系中心ではなく、音楽や詩歌で競い合うものだといわれています。ちなみにオリンピック、ピューティア以外にあと2つ祭典があり(祭神ポセイドンのイストモス、祭神ゼウスのネメアー)、四大祭典と呼ばれます。また聖火は神の世界から火を盗みだし、人類にその火を与えた神プロメテウスの伝説から由来しています。

 さて、今回の受験世界史における学習ポイントを見てまいりましょう。このジャンルはあまり入試でメインに出されることは少ないですが、古代に関しては、オリンポス十二神関連は稀ですが登場することがあります。例えば、主神はゼウスで、妻はヘラ、海と大地の神はポセイドン、太陽神はアポロン、軍神アレス、商業の神ヘルメス、、知恵の女神アテナ、美の女神アフロディテなどが有名です。ギリシア神話の神々は人間的性格を持っているのが特徴です。またポリスには共通の民族意識・宗教意識(←これは絶対覚える。ヘレネス、ヘラス、バルバロイ(バーバリアンの語源)、デルフィの神託など)がありますが、オリンピアの祭典も当然その1つで、ポリス間が対立していても、祭典の時期は戦争は神の命令により中止され、お互いの親睦に役立ったわけで、これが現在では国家間に置き換えられます。東西冷戦期でのオリンピックは参加・不参加のいざこざもありましたが、これがポリスの時代だと許されないわけです。
 近代オリンピックではクーベルタンと1896年の第1回開催("国際オリンピック大会"の名で)が用語集に登場します。こちらにも関連がございますのでチェックしておきましょう。オリンピックと言えばクーベルタンですし、開会式における各国参加選手入場で、一番最初に入場するのがギリシアの選手であることも(また最後に開催国の選手が入場)、なかば常識問題ですね。

 200話を達成いたしましたこの「世界史の目」ですが、201話以降に向けて、充電期間に入ります。次の更新までしばらく間が空きますが、見捨てないで気長にお待ち下さい。今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【外部リンク】・・・wikipediaより

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