世界史の目-Vol.204-

悲しき女スルタン

 イスラム勢力を結集してヨーロッパ十字軍を破った英雄、サラーフ=アッディーンサラディン。位1169-93)が興し、エジプトやシリアなど中近東に栄えたアイユーブ朝(大アイユーブ朝。1169/71-1250)。第7代スルタンであるサーリフ(サラディン2世。サーリフ=アイユーブ。位1240-49)は病身であったが、マムルーク軍人(奴隷出身軍人)を統括していたアイユーブ朝護衛隊長の代行をつとめていたザーヒル=バイバルス(1223-77。この時の護衛隊長は選出されず不在であった)の力を借りた。その結果バイバルス将軍は第6回十字軍(1248-54。第7回と数える場合有り→【詳細】)を撃退、エジプト北部のマンスーラの戦い(1250.2)でフランス王ルイ9世(位1226-70)を捕らえて武勲をあげた。

 サーリフが購入し育成したマムルークはバフリーヤ(バフリー=マムルーク)と呼ばれ、トルコ系であった。この兵力は熱心に養成され、精鋭な軍隊としてエジプト・シリア全土にわたり脅威となった。

 バイバルスが活躍する間にサーリフは没していた(1249.11)。スルタンが没し自軍が動揺することでマンスーラでの戦況が危ぶまれたが、没後すぐに妃が機転を利かし、サーリフの死を隠して生きているように仕向けて戦争を継続、妃の指令をスルタンの命令として出したことで勝利を収めたと言われる。この戦役で、マムルーク軍は妃への支持を多大に集めた。妃の名はシャジャル=アッドゥッル(?-1257)と言った。

 シャジャル=アッドゥッル妃はトルコ系マムルークの出身とされ(諸説有)、その美しさは真珠に形容された。彼女の名はアラビア語で"真珠の木"をあらわし、希有の美しさを誇るその容姿を、真珠が実る樹木にたとえられた。さらにすぐれた知性とマムルークからの絶大な支持によって、シャジャル=アッドゥッル妃は徐々に実権を掌握するようになっていった。サーリフ没後に8代目スルタンを継承したムァッザム=トゥーラーンシャー(位1249-50)はサーリフの子であったが、サーリフと前妻との間にできた子であり、シャジャル妃は継母であったことから、マンスーラでの戦役で軍を主導した彼女を疎んじた。ムァッザムは彼女および彼女を支持するマムルーク軍を弾圧するべく行動を起こしたが、力なくシャジャル妃に敗北、マムルークのクーデタに乗じて殺害され、首都カイロを占領、アイユーブ朝は滅亡した(1250)。

 ャジャル=アッドゥッルはマムルーク軍によってスルタンの推戴を受け、1250年4月、カイロを首都にスンナ派イスラム王国・マムルーク朝が開かれた(1250-1517)。初代スルタンとなったシャジャル=アッドゥッル(位1250)はイスラム王朝史では数少ない女性君主として敬愛され、しかも王朝創設者として名高い。
 ただ、女性スルタンの存在を否定するイスラム勢力がシャジャル=アッドゥッルの即位に不満を呈し、シリア方面で割拠するアイユーブ朝の残存勢力がカイロ奪還を狙っていたため、シャジャル=アッドゥッルはアイユーブ朝の元護衛隊長出身で、アミール("指導者"の意味。地方総督や地方王朝の支配者を意味するが、この時期のイスラム世界では、マムルークを統括する軍指揮官を意味する)の最高位に出世していたムイッズ=アイバク(イッズッディーン=アイバク。?-1257)と再婚してスルタン位をアイバクに譲り、マムルーク朝2代目スルタンとなった(位1250-57)。アイバクにはすでに妻子がいたが、シャジャルに求められたため、妻と離婚した。

 当時のマムルークの主将にアクターイなる人物がいたが(?-1253)、アクターイはバフリー=マムルーク出身ではなかったアイバクを嫌っていた。アクターイはアイユーブ朝時代に護衛隊長代行をつとめていたバイバルスを部下に置いており、軍団勢力は強力であった。こうしたことからアクターイとアイバクと対立関係になっていった。しかもアイバクはシャジャル=アッドゥッルからスルタン位を譲り受けても、アイユーブ朝残存勢力のカイロ奪還は薄れていなかったことから、アイバクは逆利用してこの残存勢力に近づき、アイユーブ朝の5代目スルタンだった、カーミル=ムハンマド(位1218-38)の孫である幼いアシュラフ=ムーサー(1245-?)をアイユーブ朝の9代目スルタンとして擁立し(位1250-54)、アイユーブ朝を復興させる謀略に出た。カイロにマムルーク朝スルタンとアイユーブ朝スルタンの2人が立つことになったが、アシュラフ=ムーサーは形式のみであり、実権はアイバクが掌握していた。またアイバクはバフリー=マムルークに代わる独自のマムルーク軍を形成して対抗した。このマムルークはアイバクの優秀な部下、ムザッファル=クトゥズ(?-1260)が努めた。

 勢力を強めたアイバクは1253年、ムザッファル=クトゥズを使ってアクターイを殺害、アクターイの率いたバフリー=マムルークをシリアへ追放し、翌1254年にアイユーブ朝スルタンのアシュラフ=ムーサーも廃位させてアイユーブ朝を再度滅ぼした。これによりアイバクの支配が確立した。
 しかし、アイバクにとってもう1つ改善すべき点があった。初代スルタンのシャジャル=アッドゥッル妃のことである。彼女の支持基盤だったバフリー=マムルークがカイロから追い出され、退位したことで、妃はアイバクを疎んじ始めたのである。さらにシャジャル妃が今日まで手中に収めていた、父であるアイユーブ朝7代目サーリフの遺した財力と政治権力をアイバクに奪われる危機も生じたのである。

 そして、決定的な事件が勃発した。アイバクはシャジャル=アッドゥッル妃に断りを入れず、北イラク地方のアミールと政略結婚による姻戚関係を結んだのである。シャジャル=アッドゥッルよりも若い女性との結婚で嫉妬心が燃え上がると同時に、妃としての地位も危ぶまれることとなった。しかしシャジャル=アッドゥッルはアイバクの権力簒奪の意図を見抜いていたため、機先を制し、部下の女性らと共に入浴中のアイバクを襲撃して殺害した(アイバク暗殺。1257)。アイバクは木製の履き物(靴?)で撲殺されたという。アイバクの治世はわずか7年であった。

 アイバク暗殺に関わったとされる部下の女性たちはアイバクのマムルークに逮捕されただちに処刑された。シャジャル=アッドゥッルも同時に捕らえられた。アイバク没後3代目スルタンとなったのは、アイバクの前妻の子マンスール=アリー(1243-?)という人物であったが(位1257-59)、彼は若さ故に統率力が未熟であった。また1258年にアッバース朝(750-1258)がフラグ(フレグ。1218?-65)率いるモンゴル軍に滅ぼされると、シリアやエジプトもモンゴルの脅威にさらされることで、翌1259年にアイバクの忠実な部下であったムザッファル=クトゥズがアリーを退位させて第4代スルタンとして即位した(位1259-60)。アイバクの血統は2代で止まった。

 逮捕されたシャジャル=アッドゥッルが待っていたのは、ひとりの女性による激しい報復であった。相手はシャジャル=アッドゥッルによって離婚させられたアイバクの前妻であった。前妻はアイバクを殺した時と同じように木製の履き物を凶器に使い、同じように部下の女性たちを使ってシャジャルを何度も殴打し、遂に殺害した(シャジャル=アッドゥッル死亡1257)。殺害後、遺体は投げ棄てられ、全裸のまま放置されたといわれる。

 シャジャルは処刑が決定しても悠然と立ち振る舞い、自身が所有するシンボルだった真珠をすべて粉々に潰し、前妻に手渡るのを防いだとされ、マムルーク王朝創設者であり、希有な女性スルタンとして威厳と誇りを捨てることはなかった。

 マムルーク朝はその後、第4代スルタン・ムザッファル=クトゥズが、アイバク時代に自らの手で弾圧したバフリー=マムルークのバイバルスによって暗殺され(1260)、バイバルスが5代目スルタンとして即位した(位1260-77。マリク=アッザーヒル。"勝利王"の意)。国内で初めて10年以上の政権をもたらした。その後同王朝は1382年までバフリー=マムルークが(バフリー=マムルーク朝ともいう)、それ以降はブルジー=マムルーク(8代目スルタン・マンスール=カラーウーン(位1279-90)の創設したマムルーク。バブリー=マムルーク朝ともいう)がそれぞれ主体となり、1517年オスマン帝国(1281-1922)のセリム1世(位1512-20)に滅ぼされるまで、270年近くにわたってエジプトのスンナ派王朝を維持させたのであった。 


 今回はマムルーク朝誕生時のお話を紹介しました。2話続けて女性が主役となりましたが、今回はアイユーブ朝を滅亡に導いた者として、マムルーク朝創設者にして、貴重な女性スルタンとして歴史的にも価値の高い、シャジャル=アッドゥッルのお話が中心となりましたが、後半は非常にホラー要素のたっぷり効いた内容でした。いつの世もこうしたサスペンス・タッチのお話は存在するのですね。ちなみに今回のタイトルですが、個人的にかなり贔屓にしていたブリティッシュ・ロック・グループ(【外部リンク(Wikipedia)より】)のデビュー作の邦題および収録曲(【外部リンクより】)に由来しております。

 さて、今回の受験世界史における学習ポイントを見てまいりましょう。アイユーブ朝もマムルーク朝もスンナ派で、エジプトとシリアが支配領域で、カイロ市が拠点であることを知っておきましょう。まずアイユーブ朝は十字軍が活躍したクルド人のサラディンが有名ですが、彼以外アイユーブ朝で答えさせるような人物問題は出ないと思います。
 続いてマムルーク朝ですが、奴隷軍人を意味するマムルークのクーデタによって幕が開けます。本編の主人公であるシャジャル=アッドゥッルや夫のムィッズ=アイバクは入試には登場しません。同じアイバクでもインドのデリー=スルタン政権の1つ目、いわゆる奴隷王朝(1206-90)を創設したクトゥブッディーン=アイバク(?-1210)の方が出題率が高いので注意しましょう。マムルーク朝で入試に登場する人物は、マムルーク朝の一番強力だった時代のスルタンだったバイバルスぐらいでしょう。ただバイバルスもマイナー系で、難関私大受験であれば覚えた方がよろしいかもしれません。彼は本編でも紹介したように戦闘においては圧倒的強さを誇り、無敗軍団であったモンゴル勢も撃退しているぐらい強力な軍隊を率いていた人物です。
 アイユーブ朝やマムルーク朝関係で本編未登場の重要な点は、両王朝期にインド洋と地中海を結んで香辛料取引を行ったムスリム貿易商のカーリミー商人、ポルトガル艦隊がマムルーク朝艦隊を撃破して紅海・アラビア海の制海権がポルトガルに渡った1509年のディウ沖海戦もマイナー系ですが難関私大関連では知っておいても良いでしょう。

 やはり大事なのはオスマン帝国セリム1世に滅ぼされる1517年の事項です。必ず覚えましょう。そして、この時マムルーク朝に亡命していたアッバース朝の子孫からカリフ位を奪ってスルタンがカリフを兼ねるスルタン=カリフ制も成立したとされますが、近年この事実が疑わしいとされて、実際は18世紀後半以後に確立されたとする説が有力となっています。一応用語集にも載っていますので、セリム1世絡みで名前は知っておくと良いですね。

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