世界史の目-Vol.225-

光輝と知恵・その3

古代の終末

その1・激動の4世紀はこちら
その2・ローマ皇帝とアラリック1世はこちら

 ローマ帝国(B.C.27-A.D.395)が東ローマ帝国ビザンツ帝国。395-1453。首都コンスタンティノープル)と西ローマ帝国(395-476。首都ミラノ。402年にラヴェンナ遷都)に分裂した後のヨーロッパ。5世紀初め、"知恵"の西ゴート族(英語でVisigoth、ドイツ語でWestgoten)が建国した西ゴート王国(415/418-711)は南フランスのトロサ(現トゥールーズ)を拠点とした。一方"光輝"の東ゴート族(英語でOstrogoths、ドイツ語でOstrogoten)は4世紀後半にアジア系遊牧民のフン族に征服され、身動きが取れない状態でいた。そのフン族は433年に西ローマ皇帝よりドナウ中流のパンノニアの割譲を受け、ここを拠点としたが、434年に王位交替があり、前王(ルア王。位?-434)の甥であるブレダ(390?-445?。位434-445?)とアッティラ(406?-453。位434-453)兄弟が共同王として統治することになり、活動がさらに活発化していく。

 東ゴート族をはじめ、多くの支配民族を従えたフン族は東西両ローマ帝国への侵略を決め、441年にビザンツ帝国領であるバルカン方面でビザンツ軍と交戦してこれを撃退させ、ビザンツ皇帝テオドシウス2世(帝位408-450)に対して、賠償金と貢納金を得ることに成功した。フン王ブレダは445年頃に死去し、アッティラの単独統治が始まって以後も、ビザンツ軍と交戦しこれを撃破した。その後アッティラはさらに版図を拡げて周囲を脅かした。

 ビザンツ帝国がフン族の侵略に苦悩する一方、西ローマ帝国においても同様、ヴァンダル人の王ガイセリック(ヴァンダル王位428-477)が統治する北アフリカのヴァンダル王国(439-534)からの侵略に悩まされた。もともとヴァンダル王国は439年、カルタゴを中心とするローマ領北アフリカを征服し建国したゲルマン国家である。
 当時西ローマ帝国は、皇帝ウァレンティニアヌス3世(帝位424-455)の治世であったが、衰亡著しく、前述のヴァンダル軍の侵攻だけでなく、アングロ=サクソン等によるブリタニア侵攻もあり、ウァレンティニアヌス3世は446年にブリタニア放棄を決めなければならなかった。シチリア島もヴァンダル王ガイセリックに略奪され、ガイセリックと同盟を結んだフン王アッティラによってガリア地方(現在のフランス辺り)まで侵攻されるなど、領土はいっきに縮小の傾向をたどった。さらに西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の姉ホノリア(417?/418?-455)が、自身の政略結婚を弟帝が主導することに異議を唱えて(諸説あり)アッティラに助けを求めるなどの内紛も手伝った(ホノリアはアッティラに対して結婚を求めていたという説もある)。アッティラにとってローマを滅ぼす絶好の機会となった。

 西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世はフン族および彼らが侵攻したガリア地方を熟知し、功績も多い西ローマ軍司令官のアエティウス(391?-454)にフン族追討を命じた。451年、アエティウス将軍は西ゴート王国軍を中心に、フランク軍、ブルグント軍らも編入した連合軍を結成、東ゴート軍を従えたフン軍とガリアで交戦した。
 同年6月、両軍あわせて5万という軍勢で行われたこの大戦争はカタラウヌム平原(シャンパーニュ地方。現・北フランスのシャロン=アン=シャンパーニュ)で決戦が行われた。西ローマ帝国、多くのゲルマン民族、そしてアジア系の遊牧民族が衝突する一大決戦であった。これがカタラウヌムの戦いである(451年6月20日)。

 この決戦では、ガリアを熟知したアエティウス将軍の率いる西ローマ帝国と西ゴート王国の連合軍が勝利をもたらした。しかし親征した西ゴート王が戦死し、西ローマ軍においても壊滅的ダメージを受けたため、決して楽勝ではなかった。もともと西ローマ帝国の軍隊は決戦を迎える前から弱体化が進んでおり、ゲルマン兵を傭兵として編制しなければ維持できない状態であり、フン族をこの戦役で完全に討ち滅ぼす戦力はなかった。フン族が撤退したガリア地方はフランク族やブルグンド族といったゲルマン諸族が手を染めるようになっていき、5世紀半ばの西ローマ帝国領内では、西ゴート王国、ヴァンダル王国、ブルグンド王国(411-534。狭義ではサヴォイア地方に定住していた443-534。ガリア中南部)といったゲルマン諸国家の割拠が進んだ。

 一方、敗退したフン王アッティラは態勢を立て直して今度は北イタリア侵攻を始め、再度西ローマ帝国を脅かした。北イタリアを荒らし回ったアッティラの軍はローマ市内を攻め込むが、ローマ教皇レオ1世(位440-461)は自らアッティラと会見した。
 かつて短期間であるがローマ征服(410)を果たした西ゴート王のアラリック1世(位395-410)は征服直後に熱病で没したが、このことが脳裏をよぎったのか、またはカタラウヌムの戦役で疲弊したフン族の領域内で流行していた疫病もあって(諸説あり)、アッティラは教皇レオ1世と平和的解決を行い、イタリアを撤退した(452)。アッティラは拠点であるパンノニアに戻るが、453年、自身の結婚披露宴の最中に倒れ、そのまま没した(453。アッティラ病死)。以後フン族は勢力が急激に縮小化し、ヨーロッパにおけるフン族の活動はみられなくなった。
 アッティラ王が没した翌年、歓喜に湧くはずの西ローマ帝国であったが、その後はさらに不安定さが増した。カタラウヌムの戦いで尽力した西ローマ帝国の将軍アエティウスは、戦勝による将軍の権力増大を疎む皇帝ウァレンティニアヌス3世の策略によって暗殺され(454。アエティウス将軍暗殺)、その翌年にはアエティウス派のゲルマン将軍によって皇帝も暗殺されたため(455。ウァレンティニアヌス3世暗殺)、ローマではガイセリック率いるヴァンダル軍の侵攻を招いた(455)。ただし、今回においても教皇レオ1世がガイセリックと会見し、ローマ侵略を思いとどまらせようとした(ただしガイセリックは一度和解に賛同したが、結果的にローマの破壊活動を行った)。
 一方で、ローマが混乱を極める中、フン族に抑えられていた東ゴート族のティウディミール王子(のちの王。王位470-475)と、彼と愛人関係にあったとされるカトリック女性エリヴィラ(440?-500?)との間に男児が誕生した。これもアッティラが没した翌454年の出来事であるが、その人物がのちに東ゴート族における偉大な歴史を築いたテオドリック(454-526)である。さらに、ティウディミールとエリヴィラとの間にはその後女児アマラフリダ(460?-525?)も誕生した。

 ゲルマン傭兵隊に操られながら、西ローマ帝国は日々弱体と化していった。そして476年に傭兵隊長であるゲルマン人・オドアケル(433?-493)によって西ローマ皇帝ロムルス=アウグストゥルス(位475-476)は退位させられ、西ローマ帝位は東ローマ皇帝(ゼノン帝。位474-475,476-491)に返上した(476西ローマ帝国滅亡)。オドアケルはイタリア王(位476-493)となってラヴェンナを拠点に自身のイタリア王国(オドアケル王国。476-493)を築いた。また北アフリカを拠点とするヴァンダル王国は477年ガイセリック王が没し、子フネリック(位477-484)が王となったが、版図は縮小に向かった。

 フン族の衰退、西ローマ帝国の滅亡、ガイセリック王の死去によるヴァンダル王国の弱体化と、5世紀後半の西ヨーロッパは大きく情勢が変わった。そして、フン族の支配下におかれていた東ゴート族はついにその支配から解放された。民族大移動が始まっておよそ100年、西ヨーロッパは古代の終焉を迎え、あらたな時代の幕開けとなる。


 カタラウヌムの戦いと西ローマ帝国の滅亡という、西洋史における古代最後の激動が中心となりました。西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケル隊長、ヨーロッパの破壊者のイメージが強いフン族のアッティラとヴァンダル族のガイセリックが登場し、本来の主役である東西ゴート族は脇にまわりましたが、この時代においても大いに活躍しました。

 アッティラ率いるフン族は非常に荒々しい戦闘態勢をとり、この絵画【外部リンクから引用】からみてもわかります。ローマと何度も接触してその脅威を見せつけたアッティラですが、英雄ジークフリートと妻クリームヒルトが登場するドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にもエッツェルの名で登場します。西洋人からは大いに忌み嫌われる存在として知られている人物です。またガイセリック王もアッティラ同様、ローマを荒らし回った人物として名高く、文化建造物や景観を落書きなどで汚す、または破壊する行為を"ヴァンダリズム"と呼ぶことからもその影響が後世にもあらわれています。
 またローマ帝国関係では、西ローマ軍人のアエティウス将軍が登場しました。"Last of the Romans(最後のローマ人)"の1人として数えられることもある有名な将軍です。カタラウヌムの戦いでアッティラの軍を敗退させた軍功があります。

 さて、大学受験世界史における学習ポイントです。言うまでもなくカタラウヌムの戦いは最重要項目です。451年勃発のこの戦争は、アッティラの率いるフン軍と、フン族に支配された東ゴート軍の軍隊と、アエティウス率いる西ローマ帝国軍と、西ゴート王国軍、フランク軍他の連合軍が衝突した戦争です。勃発年である451年は、"アッティラを、カタラウヌムでしごいたれ!"と覚えておくと便利です。
 人物で覚えるのは、西ローマを倒したオドアケルや東ゴートのテオドリック、そしてフン族のアッティラだけでいいでしょう。オドアケルとテオドリックは次回で取り上げます。ヴァンダルの王・ガイセリックは難関私大でかつて書かせることもありましたが、民族移動時代においてヴァンダル族で人物名を書かせるとしたら間違いなくガイセリックです。他に今回登場した西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世、アエティウス将軍、ローマ教皇レオ1世、東ローマ皇帝ゼノンは入試で答えさせることはないと思いますので覚えなくてもいいでしょう。

 さて、次回もこのシリーズは続きます。また大きなドラマが起こります。次回もお楽しみに。

【外部リンク】・・・wikipediaより

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