世界史の目-Vol.231-

メキシコ革命・その3

革命の終結
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 エミリアーノ=サパタ(1879-1919)の敗走で、護憲主義を貫くベヌスティアーノ=カランサ(1859-1920)は、彼を支持するソノラ州出身のアルバロ=オブレゴン(1880-1928)の軍を出動させ、暫定政府軍を率いたパンチョ=ビリャ(1878-1923)とグアナフアト州(メキシコ中央)のセラヤで激突した(セラヤの戦い。1915.4)。ビリャは保守派に弾圧され続ける農業労働者の絶大な支持を受け、真の革命が達成するまで戦い続けた。しかし往年の騎兵隊で臨んだビリャの軍に対し、オブレゴンの軍は近代戦術を用いて戦況を優勢に持ち込み、オブレゴンは戦闘で右腕を失いながらも、ついにビリャの軍を大敗させた。ビリャは政界を去り、北方チワワ州に敗走した。

 ビリャの敗北により、ついにカランサの革命政権が誕生することになり、1915年5月にカランサは暫定大統領に就任した(暫定任1915.5-1917.3)。しかし暫定政府は6月にフランシスコ=ラゴス(任1915.6-15.10)をおいて対抗したが、アメリカのカランサ大統領承認もあって結局10月に退陣し、中央政府はカランサに集中した。一方ビリャはアメリカのカランサ大統領承認に対しても非難し、チワワ州で武装蜂起した。チワワ州のアメリカ人を殺害し(1916.1)、3月はアメリカ領ニューメキシコでゲリラ攻撃を行い、反カランサ・反米を主張した。アメリカのウッドロー=ウィルソン(1856-1924。民主党。任1913.3.4-21.3.4)はビリャ逮捕に向けて、チワワに派兵したが捕らえることができなかった。

 1857年に制定された憲法(1857年憲法)を守ってきたカランサは、ついに自身の手で、新憲法制定に着手、1916年末にケレタロ(メキシコ中央部)で制憲議会が開催された。カランサは1857年憲法に則る、19世紀の自由主義派の精神が詰まっているこのブルジョワ派憲法を自身の手で改良するつもりであった。すなわち、政教分離、自由経済、個人権利尊重、資本家の私有財産不可侵といった自由主義政策を正当とする規定である。しかし護憲派が中心の議会であったにもかかわらず、1910年に勃発したメキシコ革命を通して、かつてのサパタなど、農民の立場からの革命精神を理解する護憲派も増えていた。議会は今や、農地を取り上げた私有財産絶対の大土地所有者が優位だった時代ではなく、メキシコ国家・メキシコ国民全体を考えなければならない時代であると見なさねばならず、結果、労働者階級の労働条件を保障した基本的人権や、私有財産絶対が否定された大地主や外国資本家に対する土地所有制限が盛り込まれ、さらには教会絶対を否定して教会領削減と信仰自由が定められた、民主的な新憲法が完成した。これが1917年憲法である。ところが1857年憲法を崇拝するカランサにとって、この新憲法は本意ではなかった。サパタが掲げた"アヤラ綱領"の精神が、まさかの形でこの新憲法に採用され、サパタの存在が浮上するようになった。これがカランサ側のサパタ暗殺(1919)へとつながっていくのであった。1917年3月、カランサは新憲法に基づいた形で、"暫定"がとれた正式なメキシコ大統領となり(カランサ大統領就任。任1917.3-1920.5)、カランサが護憲・立憲の立場からメキシコ革命の達成を目指してきたことが現実となったが、カランサ自身の崇拝できる憲法ではなかった。事実、カランサ派憲法に則った行政を忠実に行わず、地主優遇・労働者冷遇という今までのパターンが進行した。やがて、カランサとこれまで苦楽を共にして強敵と戦ってきたオブレゴンは、1917年憲法をめぐってカランサの言動に不満を呈し、カランサと決別を表明、ソノラ州に帰って行った。

 オブレゴンが戻ってきたソノラ州では、アドルフォ=デ=ラ=ウエルタ(1881-1955)という政治家が州知事を務めていた。ソノラ州においても、サパタ暗殺の衝撃は大きく、反カランサで立ち上がった農業労働者の運動が後を絶たなかった。オブレゴンも護憲派の一人であり、憲法無視のカランサ政権に対して猛烈に批判した。そして、次期大統領選挙に立候補することを決意した(1919.6)。オブレゴンのこうした動きに対して、カランサは自派の中から後継者を選んだ。しかしその後継者を襲撃する労働者や労働争議が相次ぎ、カランサは公然と労働者を弾圧していった。しかも1920年初頭には労働者擁護の立場をとるオブレゴンを弾圧しようとした。憲法に則って行政を実行しないカランサ政権に対して、デ=ラ=ウエルタ州知事は大いに失望して、ソノラ州のメキシコからの独立を宣言し(1920.3)、再び内戦に突入した(1920)。旧サパタ派やかつてオブレゴンの軍と戦ったビリャはソノラ州を支持、カランサはメキシコシティを離れることを決意し、ベラクルス(メキシコ湾岸側)で政権存続を図って逃亡した。しかしベラクルス州をはじめ、その南のプエブラ州までも反カランサに転じており、カランサはプエブラ州で部隊の奇襲を受け、死亡した(カランサ暗殺。1920.5)。現職大統領の死にともない、デ=ラ=ウエルタ州知事が暫定大統領に就任し(任1920.6-20.11)、7月、内戦終結のための講和を結んだ。これによりビリャは革命活動をすべて終了し、隠退した。その後ビリャは自身が運転する車で帰る途中、何者かに銃撃を受け、殺害された(ビリャ暗殺。1923.7)。暗殺者は不明で、後に政権を掌握する側が放ったのか、あるいは軍関係者か、同郷の反対派か、その正体はいまだにつかめていない。メキシコ国民を平和に導くため、全生涯を革命に捧げた勇者の悲しい結末であった。

 そして1920年末、革命運動の最後の有力者、オブレゴンが大統領に就任(オブレゴン大統領就任。1920.12-1924.12)、メキシコ革命はいちおうの終結を見た(メキシコ革命終結)。オブレゴンはこれまでの革命家とは違い、農業労働者としての経験があり、また実業家としての実績もあった人物だけに、労使両面の立場を理解でき、将軍としても優秀であった。オブレゴンは農地改革を革命勃発後、はじめて着手した人物で、十数万人の農民に土地を分譲、また労働組合を保護して、憲法に則った政治を行った。ところがアメリカがオブレゴン政権を承認することを条件にアメリカの資本家が石油産業の実権を掌握することを黙認させられたことで、議会は反発した。またオブレゴンはデ=ラ=ウエルタとも決別、一時的ではあるが再度内戦に突入した(デ=ラ=ウエルタはアメリカに亡命)。大統領職は憲法上の規定で再選禁止とあるため、オブレゴンは1924年で辞任するも(オブレゴン大統領辞任。1924.12)、同じソノラ州で同志だった元州知事のプルタルコ=エリアス=カジェス(1877-1945)を後継者にあて、カジェスは大統領に就任したが(任1924.1-1928.11)、この政権ではカトリックを弾圧する政策を行っており、多くの信者が犠牲となった。また憲法改正が行われ、大統領は連続でなければ再選可能となり、オブレゴンが再出馬を宣言した(1928.7)。土地改革も滞り、大統領が再選するこの状況は革命勃発前のディアス政権(1876-80,1884-1911)と同様であった。このため行政への批判はオブレゴンに集中、オブレゴン再選反対運動が起こるが、起こした首謀者はただち粛清された。

 1928年7月、大統領再選出が決まったオブレゴンは、メキシコシティのサン=アンヘルという町で再任を祝うパーティ会場(ラ=ボンビージャ)に入った。パーティの最中、オブレゴンは乱入した反カジェス派の銃撃を受けて殺された(オブレゴン暗殺。1928.7)。暗殺者はカジェスの反カトリック政策に反対するカトリック信者であった。これで10年の歳月を経て繰り広げられたメキシコ革命の主導者は疾風の如く去ってしまった。

 その後はカジェス派の大統領が1930年代半ばまで続き、1934年に就任し、カジェス派を追放したラサロ=カルデナス大統領(1895-1970。任1934.12-1940.11)の政権によって、1917憲法制定以後、約80万人規模の農民対象に悲願の農地改革が施され、広大な土地が分配されていった。カルデナスは労働条件や労働組合の腐敗をなくして労働者の立場を大いに理解し、さらにアメリカなど海外資本によって支配されていた鉄道産業や石油産業の国有化といった社会主義政策や、教育制度の充実、産業育成など、民主化政策を次々と断行し、メキシコ革命時代に実施できなかった諸改革を次々と着手した。よってメキシコ革命の本質は、1930年代後半、カルデナス政権によってようやく結実したといえよう。 


 メキシコ革命後半の内容をご紹介しました。カランサでもオブレゴンでも、革命を起こしてもその後が、保守の波にのまれてしまうのですね。そう思えば、サパタやビリャなどは、最後の最後まで自分の意志を全うしようとしたことで、今でも国民的英雄とされています。しかし革命を起こした偉人たちはみな非業の死を遂げてしまうのがなんとも悲しいです。前回までに登場したフランシスコ=マデロ大統領(1873-1913。任1911.11-1913.2)やパスクアル=オロスコ(1882-1915)も殺害されてしまいます。まさに一世一代、命懸けの革命です。

 さて、今回の大学受験世界史の学習ポイントです。カランサが政権を勝ち取り、ビリャを打ち負かしたが、発布した憲法に則って政治を行わず、人心を失い暗殺された、とだけ覚えていればよろしいかと思います。用語集では、メキシコ革命は1910年に始まり、カランサが大統領に就任して憲法が発布された1917年までとしてありますが、革命期、特に終結年は書物によってさまざまで、カランサが暗殺され、オブレゴン就任後、土地改革に着手した1920年とする説や、最後の革命関係者とされるオブレゴンが暗殺された1928年説、またカルデナス大統領就任の1934年説、また辞任年の1940年説など、たくさんあります。本編では1920年としていますが、受験生は1910年代と覚えておけばよろしいでしょう。

 さて、今年8月には「世界史の目」が前身「高校歴史のお勉強」時代から通算してまる10年になります。なるべく続けたいと思いますが、ここでしばらく充電期間をとらせていただきます。今回はそれほど長くなりませんが、231回のお話で、いまだメインに紹介していない超大物が何人かおりますので、彼らの紹介をさせていただくことになるかと思います。是非ご期待下さい。いつものお願いですが、どうぞお見捨てにならないよう、気長にお待ち下さいませ。

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