世界史の目-Vol.235-

儒教の世界・その1

孔子(こうし)の誕生

 (しゅう。B.C.11C-B.C.256)を建国した初代王・武王(ぶおう。姫。きはつ。姫は姓。帝位B.C.11C-B.C.1021?)。武王は即位してほどなく病にかかり、弟の周公旦(しゅうこうたん。生没年不明)に、幼少であるが次期皇帝となる子の成王(せいおう。帝位1021?-1002)の補佐を託した。
 武王は易姓革命(えきせいかくめい)でもって周を建国した人物である。古代中国の思想では、易姓革命は中国王朝の交替を意味する。まず、人を超えて上に立ち、すべてを支配する(てん)をつかさどる神、天帝(てんてい。上帝。じょうてい)が命令、つまり天命(てんめい)を下し、この天命を受けた天子(てんし。天帝の子とする)が王朝の最高支配者、つまり君主として国家の統治に当たる。天子は天帝を祀ることを天義(てんぎ。義務のこと)とし、周の国王を天帝の天子として認め、国王に天下(てんか。つまり天の下にある国家)の統治をゆだねることになるのである。天帝のかわりに天下をおさめさせた前の王朝、(いん。商。しょう。B.C.1600?-B.C.1046?)に対しては、(とく)を失った殷の君主(つまり天子)が天命に背いたとして、天帝は天(あらた)めた。これが"革命"である。天子は放伐(ほうばつ。武力によってその座を奪われること)を受けて滅び、やがて新しい有徳者が天子となることで、(せい)が(か)わり、新しい王朝、周王朝が天下を統治することになる。命を革め、姓が易わる、これが易姓革命である。ここでいう"徳"とは魂の優秀性や卓越性を意味し、徳が人に備わると人間として優秀な働きが生みだされ、有徳者が行う政治こそ、天帝の天命にかなう政治であるとした(徳治主義)。

 このように天と人とは強いつながりがあり、人が為すあらゆること(政治など)と、天が為すあらゆること(悪天候になるなどの天からの災い)とは密接に関係しているという、後に説かれることになる天人相関説(てんじんそうかんせつ)の礎ができあがった。周王朝に属する人々は、天と密接な関係にある有徳な人物を天子、つまり周の王として崇めた。周公旦は兄の武王を周の建国前から助け、またその子成王を補佐して周王朝の安定に尽力した。あわせて周公旦は武王に曲阜(きょくふ)を中心とする現在の山東省西南部一帯を分封されて同地域の支配を任された(周代の封建制度)。曲阜を拠点に作られた公国が(ろ。B.C.11C-B.C.249)で、その君主は魯公として周王がら爵位(侯爵)を賜り、周の一族である姫(き)氏が世襲した。ただ、武王の天下統治を助けるために周公旦自らは曲阜に赴かず、子である姫伯禽(きはくきん。?-B.C.997)に魯の統治を任せ、伯禽が初代魯公として魯を統治することになった(公位B.C.11C-B.C.997)。

 周公旦は周の封建制度をはじめ、数々の諸制度を制定し、社会的ルールや慣習を整えた人物の一人とされ、その中でもとりわけ(れい)という社会規範の基礎を形作った人物とされている。そもそも礼とは祖先を祀る祭祀の儀礼で、その儀礼を通して氏族の連帯力を強化させる役割をなした。それはやがて社会生活に取り込まれ、社会生活に必要な規範として、行動や発言を統制する、つまり礼儀作法を取り入れることで他者に敬意を表現し、社会秩序の安定を維持させるものとなった。周公旦は周の諸策に礼の制度を取り入れ、周公旦の子・伯禽が統治する魯国もこれに倣った。

 紀元前10世紀に入ると、周の王室は衰運著しくなり(詳細)、春秋時代(しゅんじゅう。B.C.770-B.C.403)の幕開けとなった。周の衰退は封建的秩序の衰退につながり、礼の衰退にもつながった。そして、群雄割拠の実力重視の世界へと変貌していった。魯国は第15代・桓公(かん。公位B.C.711-B.C.694。春秋五覇の一人として数えられる人物とは同名異人)の没後、長子(荘公。そう。B.C.693-B.C.662)が即位したが、次男以下の三兄弟(孟氏叔氏季氏の御三家。もう・しゅく・き。三桓氏。さんかんし)の実権掌握により内紛が頻発、国力が疲弊、弱小化した。
 紀元前6世紀半ば、その魯の中心都市・曲阜の大夫(たいふ)の家に新たな生命が誕生した。孔子(こうし。B.C.552-B.C.479。生年はB.C.551年説もあり)である。

 孔子は幼少期に両親と死別したが、早くから苦労して学問を志し、20代後半には倉庫番や家畜の世話など下級ではあるが官途の道に就いたといわれる。2メートルを超える長身であったとされ、19歳の時に結婚、翌年に子(孔鯉。こうり。B.C.532-B.C.483)が誕生した。その後司空(しくう。建築関係の官吏)などをつとめ、30代前半までに隣国などの諸国を遊説し(諸説あり)、弟子も徐々に増えていった。孔子がでた頃には、魯国誕生から約500年経過しており、春秋時代の実力重視の世の中へと変貌する中で、建国当初の周公旦が広めたとされる礼学に基づいた土木諸制度は退化していた。孔子が生きる春秋時代とは、中心となる周の王室をよそにそれまで周王に礼儀を尽くしてきた各地の諸侯が、独立と統一を目指して他国と戦火を絶えず繰り返し、一方で孔子が生きる魯国の状況は、三桓氏の権力抗争が横行し、相手に敬意を表さず、社会秩序も乱れていた。こうした中、孔子は若い頃から、伝統と化した古き良き文化や教養を学び、たとえば王室の公事や宴席で奏でられた楽曲を歌うための(し)、君主の言行・訓戒・記録、つまり(しょ)、そして礼儀作法、社会規範のを習得した。
 B.C.517年頃、孔子が30代半ばの頃である。季氏(三桓氏の1つ)の強勢と魯公(当時の魯の君主は昭公。しょうこう。公位B.C.541-B.C.510)の劣勢は顕著であった。宮中で行われた公事で、催し物の舞楽を演ずる人が極少だったのに対して、季氏の主催した催し物には豪勢に行われ、舞楽の演者もほとんどが季氏の方に集まった。周公旦の時代に始まった礼の制度が無視されていることに孔子は深く嘆いた。昭公は季氏と抗争を展開したが破れ、魯の北東隣にある強国・(せい。B.C.1046-B.C.386。B.C.386年、家臣の簒奪後に誕生した戦国の七雄とは区別される。せい。B.C.386-B.C.221)に追放された。孔子は昭公の後を追って斉に入国、の曲阜とは明らかに大都会であった斉の首都・臨淄(りんし)に感銘を受け、その後帰国した。孔子が斉にいた頃、魯国では国政がさらに乱れていた。孔子は魯に帰国しても、すぐには官人として復帰することはなかったが、B.C.501年頃に中都(当時の魯の都。現在山東省の済寧市の汶上県。さいねい。ぶんじょう)の長官(中都宰。ちゅうとさい)の任命を受けた。
 その後司空の再任を経て、大司寇(だいしこう。司法の高官)に昇りつめた孔子は、魯公を圧迫させるほどの実権を掌握する三桓氏を抑えようとして国政改革を図るも失敗、その後弟子とともに魯国を再び離れ、諸国巡遊に出て、徳治主義の理想を説諭していった(B.C.498頃)。しかし諸侯たちには聞き入れられるものではなかった。

 十数年の巡遊から魯に帰国した孔子は69歳であった(B.C.484頃)。魯は哀公(あいこう。公位B.C.494-B.C.468)の治世であったが、斉国と交戦中であった。帰国後の孔子は国政につとめることなく弟子の教育に専念した。B.C.481年、魯の西方の地で狩猟が行われた際、叔氏(三桓氏の一氏)の臣下が見たことの無い大型の一角獣を発見した。臣下は気味悪がり、恐れのあまりこの獣を見捨ててしまった。この獣は麒麟(きりん)であった。麒麟は瑞兆の獣(瑞獣。吉兆をもたらすとされる獣)であり、天下が太平である時や、他人に対し、自然に親愛の心をもつ君主や家臣がいると出現する霊獣である。当時の乱世、人を愛すること無く敵国と戦う君主、無徳に権力を求める家臣や役人たちがいる時代に麒麟という聖なる瑞獣が出現し、滅多に見られないその瑞獣を見た臣下が気味悪がって見捨てたことに孔子は大いに落胆し、これまで書き綴ってきたとされる魯国史の記録に筆を止め、その後孔子は没した(伝説。諸説あり)。この記録が、のちの五経の1つ『春秋(しゅんじゅう。孔子の作か?)』であり、『春秋』の最後は「獲麟(かくりん。"麒麟を獲る"の意味)」の記事が記されている。転じて、"獲麟"は物事の終わりを意味し、これが孔子の最後の記事となったことから、絶筆の意味を持つようになった。

 下が太平であり、他人に対し自然に親愛の心を持つ人がいる世の中こそ、麒麟が現れる。この、自然に親愛の心を持つことの大事さを孔子は諭し続けた。これが"(じん)"である。有徳な統治者がいて、"礼"という規範を重んじ、仁という人間愛を持ち、他人を尊重し敬う態度や行動ができる社会を築き上げてこそ、真のすばらしい世界が実現できるという思いで魯国を内外から見つめてきた孔子も、春秋時代の情勢に押しつぶされ、理想は達成させられぬまま、B.C.479年、74歳で没した(孔子死去B.C.479)。

 しかしその理想は弟子たちに受け継がれた。優れた弟子と言われた顔回(がんかい。顔淵。がんえん。B.C.521-B.C.481。貧しい暮らしを強いられてもいやな顔一つせず、孔子の教えに従い学問を志すも早世)や子路(しろ。B.C.543-B.C.481。高官に任命されるも、政争に巻き込まれて殺害)は若くして孔子より早く亡くなってしまったが、孔子の教えを受けた門下生たちは結果的に3000人をも生み出すことになる。

 孔子の生涯はのちに『論語(ろんご)』の「為政(いせい)第二」で次のように記された。"吾(われ)十有(ゆう)五にしてにして学に志し(志学。しがく)"、"三十にして立ち(而立。じりつ)"、"四十にして惑はず(不惑。ふわく)"、"五十にして天命を知る(知命。ちめい)"、"六十にして耳順ひ(他人の言うことを素直に聞く。耳順。じじゅん)"、"七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず(のりをこえず=(心の欲するままに振る舞っても)行き過ぎて道を踏み外すことが無くなる)"。
 また、「学而(がくじ)第一」では、"有子(ゆうし。孔子)曰くその人と為り(ひととなり)孝悌(こうてい)にして上を犯すことを好む者は鮮(すく)なし(親への親愛と、兄や年長者など目上の人への恭順に逆らうことを好む者は少ない)"、"上を犯すことを好まずして乱を作す(おこす)ことを好む者は未だこれあらざるなり(目上の人に逆らうことを好まず、乱を起こすことを好む者はいまだない)"、"君子(くんし)は本(もと)を務(つと)(人格者は根本を大事にするのです)"、"本立ちて道生る(もとたちてみちなる。根本がしっかりと確立すれば道が生まれるのです)"、"孝悌はそれ仁を為すの本なるか(親への親愛と、兄や年長者など目上の人への恭順を持つことは、仁を完成させるための根本なのです。)"とあり、仁の根本には父母への親愛心、つまり""と、兄弟や年長者など目上への恭順、つまり""、この"孝悌"があると孔子は説いている。孝悌を大事にする人こそ有徳な人格者、つまり君子なのである。
 そして「里仁(りじん)第四」では、"吾が道は一以てこれを貫く(我が道は1つのことで貫かれている)"、"曾氏(弟子の曾子。そうし。B.C.506-?)曰く(い=はい。その通りです)"、"子出づ(孔子がその場から出て行く)"、門人(もんじん。弟子)問うて曰く何の謂(い)いぞや(どういう意味か)"、"曾氏曰く夫子(ふうし)の道は忠恕のみ(ちゅうじょ。先生の道は偽りの無い純粋なまごころと他人への思いやりのみである)。自分を欺かない、忠実で純粋なまごころである""と、他人への思いやる""を持つことで"仁"を表現でき、これを"礼"という社会規範が完成して天下が平和な秩序として守られるのである。しかし仁と礼を完成させるには、自己の私欲を抑制することが必要で、『論語』の「顔淵第十二」において、顔回が孔子に"仁"について尋ねたくだりで、孔子は"己に克(か)ちて礼に復(かえ)るを仁と為す(自分自身に打ち克ち、礼に従うことで仁が完成する。克己復礼)"と応えている。

 孔子の生きた時代には達成されることが無かった、仁と礼を中心としたこの思想はその後も儒教(じゅきょう)として教えられ、儒学(じゅがく)という学問として世に広められていった。これらは儒家(じゅか)という学派によって継承され、そして発展していくのであった。


 今回は儒教の黎明期をご紹介しました。またまた連続物ですが、歴史的背景を添えながら、倫理分野では欠かすことのできない内容も随時ご紹介いたします。その第1編は儒教の開祖、孔子の登場です。235話にして初のメイン登場です。孔子は3000人以上の弟子をその人独自の特性をとらえて、その人のための教育を行うという、まさに個人教育の原点というものを行った人物で、まさに大教育者です。

 さっそく大学受験世界史の学習ポイントを見て参りましょう。世界史分野としての孔子は、儒家の祖であること、春秋時代の人であること(彼も著作に関わったとされる『春秋』が時代名の由来)、仁と礼を説いたということ、他、『論語』と前述の『春秋』を覚えておけばよろしいでしょう。難関大では魯の曲阜出身であることもまれに問われることがあります。あと孔子関連ではないですが、本編に登場した斉の首都・臨淄も難関大などでぽつんと登場することがありますので注意が必要ですね。

 では倫理分野も。人と人との間に生まれる自然な人間愛を仁といいます。まさににんべん(=人)に"二"です。仁はまず親への親愛精神である孝、年上への恭順である悌が基本にあって、克己復礼の精神で欲求をおさえながら、相手にまごころをもって接し(忠)、相手を思いやる(恕)、これを具体的な態度や行動になってあらわれるのが礼です。仁、礼、孝悌、忠恕といった言葉は儒教の基本なので、しっかり整理しておきましょう。

 さて、孔子が没して以降、儒教はどのように展開していくのか。今回は長いシリーズ物になりそうです。次回をお楽しみに。

(注)紀元前は年数・世紀数の直前に"B.C."と表しています。それ以外は紀元後です。
(注)ブラウザにより、正しく表示されない漢字があります(("?"・"〓"の表記が出たり、不自然なスペースで表示される)。臨淄(りんシ。左側はさんずい偏、右側は"緇"の糸偏を除いた部分)。汶上(ブンじょう。左はさんずい、右は"文")

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