世界史の目-Vol.36-

最後で、最高の預言者

 砂漠に覆われたアジア西南端のアラビア半島。西岸には紅海、南岸はインド洋、東岸はペルシャ湾に囲まれ、各沿岸にオアシス都市が点在し、セム系アラビア人アラブ人)によって遊牧、農業、商業を営んだ。西南の海岸部に相当するイエメン地方(現イエメン共和国)では、降雨にも恵まれ、交易路があることで最も早くから活発化し、サバー王国(B.C.950頃~B.C.115頃)やヒムヤル王国(B.C.115~A.D.525)などが同地方で興亡を繰り返した。またイエメン地方以北の半島西部に相当するヒジャーズ地方(現サウジアラビア領内)では、中部にはメディナ、南部にはメッカなどの商業都市・オアシス都市を擁し、交易で栄えた。シリア南部から半島北西部あたりでも、ナバタイ王国(B.C.4C~A.D.106)による遊牧と隊商貿易(キャラヴァン。ラクダなどの家畜に交易品を積んで移動する貿易)で栄えていた。

 アラビア半島を北上すると、西にはユスティニアヌス1世(位527~565)率いるビザンツ帝国(東ローマ帝国。395~1453)、東にはホスロー1世(位531~579)率いるササン朝ペルシア(226~651)が地中海の制海権をめぐって交戦状態が続いていた。このため、両国の国境にある、陸上交易路・絹の道(シルク=ロード)も衰えていったため、中国やインドからわたってきた交易品は、紅海沿いにイエメン地方を経由し、シリア地方へもたらされていった。その途上にあったのがメッカメディナで、商人はこの中継貿易を利用して巨万の富を得、繁栄していった。
 メッカは5世紀アラブ人の部族であるクライシュ族によって支配され、以後、定住していた。アラビアの遠隔地商業に従事して、各地の隊商貿易を独占、ハーシム家ウマイヤ家といった有力な商業貴族を出した。このハーシム家から、預言者マホメットムハンマド。570頃~632)が誕生したのである。

 ムハンマドは誕生以前に父を、続けて6歳の時に母を続けて失い、祖父や伯父に養育された。その後隊商貿易に従事し、その仕事柄、国際事情を熟知、ユダヤ教やキリスト教をつうじて宗教的境地を開いていった。25歳の頃、豪商の未亡人ハディージャに隊商を任され、のち彼女と結婚(595頃)、生活は裕福になった(娘ファーティマは、ムハンマドの従弟と結婚した。この男が第4代カリフのアリーである)。
 隊商に従事するかたわらで、ムハンマドはメッカ郊外のヒラー山中の洞窟で瞑想にふけていたが、この時大天使ガブリエルによって、神の啓示を受けたといわれる(610頃)。ムハンマドは、この神こそアッラーであり、自身がアッラーから啓示を授けられた預言者であると自覚した。

 "預言者"とは、"霊感によって神より下された言葉を伝える者"を意味する。古代イスラエル(ヘブライ人。B.C.8~7C頃)の教えでは、ヤハウェ(ヤーヴェ)唯一神の言葉を預かり、それを民に警告する者を言い、ユダヤ民族の国家衰亡の危機に際し、イザヤ、エレミア、エゼキエルなどが預言者となって現れている。後に誕生するイスラム教では、争いによって分裂した人類を正しい道に導くため、神が遣わした者を預言者と言っている。アッラー神は、人類の祖アダムをはじめ、ノア、アブラハム、モーセ、ダヴィデ、ソロモン、イエスなどに啓示を下すも、最後の究極の教えを、アラビア語でムハンマドに啓示した。ムハンマドは最後にして最高の預言者(神の使徒)とされたのである。

 メッカの商人の富裕化に伴って、彼らはさまざまな邪宗を信仰し、カーバ神殿に祀られたさまざまな偶像を崇拝してきたが、一方で、他市との経済格差が生まれ、とくに遊牧民との格差は極端に広がり、貧富の差が問題化し、危機的社会に陥っていた。ムハンマドは、これまでの偶像崇拝を中心とする多神教信仰ではなく、偶像崇拝を否定する一神教、つまりアッラーこそ、この社会を救う唯一神であると自覚したのである。アッラーは万物を創造する全知全能の裁きの神であり、慈悲深い絶対者であるとし、アッラーの存在は人間の理性を越え、故に偶像による崇拝は不可能であるとしている。よって預言者ムハンマドに神性はない、ただの"人間"であり、キリスト教のように父なる神、子なるキリスト、聖霊の3つは一体であるというであるという三位一体説は完全否定された。また人間を裁く"最後の審判"によって、アッラーに従った者は天国行きが約束され、無視した者は地獄へ墜ちていくといわれる。

 神に身を捧げた者は"ムスリム"といわれ、イスラム信徒となって、絶対帰依を義務づけられる。これはムスリムが神を信仰することによって結ばれた兄弟関係で、直接的な関係を重視するとした。ムハンマドはこの"神への絶対帰依"を"イスラム(=服従)"と説き、ここにイスラム教が誕生した。これは六信(ろくしん。六柱。ろくちゅう)にしめされる。6つの信とはつまり、①絶対の神アッラー、②神の言葉を伝える役割を果たす天使、③天使を通じて神の啓示を受けた預言者、④教えを記された聖典、⑤神の最後の審判によって人間が振り分けられる天国と地獄を意味する来世、⑥この世はアッラーの意志によって動くとする天命、という6つの信仰から成った。ついにムハンマドのイスラム教の伝道が始まった。

 ムハンマドは多神教を信仰して、偶像崇拝を行い、富を独占するメッカの商人を厳格に非難し、神の前ではすべてが平等であると民衆に説いた。貧民からは支持を多く得たが、622年、ムハンマドと彼の一族、イスラム信者たちは大商人からの迫害を受け、故郷メッカを捨てて、オアシス都市メディナへ逃れた。信者たちは、この"移住"を意味する"ヒジュラ"を、"聖遷(せいせん)"と呼び、この年をイスラム暦(ヒジュラ暦)における紀元元年とした。メディナでのムハンマドは、預言者としてだけではなく、政治・軍事・立法にも携わり、信者を増やしていった。信者の共同体はウンマと呼ばれ、宗教・法律・道徳は1つであり、イスラム教信者と国家は一体であるとする、完全なる政教一致を唱えた。646年まで、メディナはウンマの首都とされた。

 ムハンマド率いるムスリム軍は、ジハード聖戦)と称して、メッカに対する復讐戦を展開した。異教徒の戦いを表すジハードでは、戦死したムスリムは殉教者となり、来世では天国行きが約束される。630年、遂にメッカの保守勢力を屈服させ、メッカ帰還を果たした。カーバ神殿に赴き、偶像崇拝否定の立場から多神教の石像を破壊、カーバ神殿はイスラムの聖堂となり、アッラーの神殿となった。名実ともにメッカがイスラム教の聖地と定められたのである。その後、ムハンマドはメディナに戻り、ムハンマドの権威をもとに、アラビア半島における諸部族の連合させ、教団国家がきずかれていったが、632年、ムハンマドはメッカへの"別れの巡礼"を終えて3ヶ月後、メディナで死去した。ムハンマドの神性を試そうとした女性が用意した毒入りの食べ物を食したため亡くなったとも言われている。

 その後、神の使徒ムハンマドの代理後継者を意味する"カリフ"という称号をもとに、正統カリフ時代(632~661)が訪れ、アラビア半島の支配を確立していった。ササン朝ペルシアをニハーヴァンドの戦い642)で撃退させ、ササン朝は滅亡(651)、650年頃には、アラビア語で書かれたイスラム教聖典『コーラン』も誕生し、アラブ帝国時代は繁栄の第一歩を踏み出した。

 これまでVol.3"正統カリフ時代"やVol.22"ムガル帝国の興亡"ぐらいしか触れることのなかったイスラム世界ですが、遂に今回、イスラムの主役が登場しました。私が学生のころは"マホメット"と呼ばれていましたが、今は"ムハンマド"なんですね。

 イスラム世界は日本人にとっては、世界史学習の中でもなかなかとっつきにくい分野だといえます。中学で学習することもあまりありませんし、われわれ日常でも密着度の薄い分野にもかかわらず、高校になると聞いたことのないような王朝名や用語がずらりと登場しますから。しかし、現代の国際情勢ではイスラム圏の不安な政情が頻繁にニュースで話題となり、しかも大学入試でも大問の1つとして時代を問わずして必ず出題されるなど、重要な分野であることにまちがいありません。

 さて、今回の学習ポイントを挙げていきましょう。今回はアラビア半島です。現代のサウジアラビアが舞台となっています。ちなみに、サウジアラビアの首都はリヤドです。リヤドは半島内のちょうどど真ん中に位置しており、リヤドの真西にメディナ、メディナの真南にメッカがあります。地図帳で確認してみましょう。
 年代では、622年の聖遷がイスラム暦での紀元元年であること、その10年後(632年)にムハンマドが没していることを覚えてください。そして今回の重要ポイントですが、イスラム教の特色を知るにあたって、最も知っておくことは、偶像崇拝を否定するということです。ムハンマドやアリーの肖像画などでは、必ず顔を白布で覆うように描かれています。アッラーは人間の理性を越えているわけですから、描くことはできないのですね。

 あと、これは倫理分野でも学びますが、イスラム教では、本編で登場した六信の他に五行(ごぎょう)があります。信徒が実践すべき5つの宗教義務のことをいいます。まず①シャハーダ信仰告白)といって、アッラー以外に神はなく、ムハンマドは神の使徒であるという唱えを行うこと、そして②サラート礼拝)を、一日に5回、聖地メッカに向って行う、③飢えの経験を通して食物を恵む神に感謝する。これをサウム断食)といい、断食の月(ラマダーン)に一日断食を行う、④断食後、貧民救済のためザカート喜捨。きしゃ)という寄付をし、⑤聖地メッカに参拝するハッジ巡礼)をおこなう。六信五行については、世界史分野ではここまで詳しく出題されることはありませんが、倫理ではよく出されます。

 これらを体系化した『コーラン』も重要です。アラビア語で書かれていることを知っておいて下さい。『コーラン』はムハンマド時代ではなく、正統カリフ時代に完成されました。またコーランに基づき、さまざまなイスラム法(シャリーア)があり、婚姻、遺産の相続、服装(既婚者はチャドルを着衣)、豚肉を食すことの禁止など、"生活と一体化した法律"として今でも根強く続いています。このイスラム法は、9世紀にはウラマーと呼ばれる知識人によって整えられました。

 最後に、カーバ神殿ですが、メッカの大モスク(礼拝堂)のど真ん中にある聖堂で、黒い幕に覆われた立方体の建物です。教科書には必ず神殿の周りをたくさんの信者が礼拝している写真などが挿入されていますので確かめてみて下さい。壁の一隅には神聖なる石がはめ込まれており、これは、ムハンマドが偶像破壊の時に敬意を表したのが黒い石であるという由来に基づかれています。

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