世界史の目−Vol.45−

東地中海の民

 もともとシリアやパレスチナ地方を中心とする地中海東岸地方には、セム系の先住民カナーン人がいた(B.C.1500。"カナーン"はパレスチナの古名)。カナーン人はエジプトの象形文字をもとに、原カナーン文字を発明し、シナイ半島にも南伝して原シナイ文字と呼ばれた。原カナーン文字は後に発展してアルファベットになっていく。前2千年紀前半はこのカナーン人が活躍するのだが、B.C.13世紀末からB.C.12世紀にかけては、東地中海一帯を、バルカン南部やエーゲ海域など、あらゆる海路で侵入し、国や都市を混乱に陥れた混成移民集団が現れた。この諸民族は"海の民"と呼ばれ、彼らの侵入で当時の鉄器大国ヒッタイト(B.C.18C建国)は、海の民によってアナトリア高原西部を荒らされ、滅亡に至った(B.C.1190頃)。またシリアの重要繁栄都市ウガリットやエマルなども侵入を受けて滅び、エジプトもB.C.1175年、パレスチナに植民した海の民の一派ペリシテ人("パレスチナ"の名はこの民族の名に由来)との抗戦には辛うじて成功するものの、その後勢力は弱体化した。

 こうしてヒッタイトとエジプトの二大国家形勢が崩れ、かわって独自の活動を行う民族が、シリア・パレスチナ地方で活躍するのである。アラム人フェニキア人ヘブライ人セム系の3民族である。

 アラム人はB.C.12世紀からB.C.8世紀にかけて、シリアからメソポタミア北部に定住した。後に新バビロニア(B.C.625-B.C.539)を開くカルデア人もこの一派である。またアラム人は多くの都市国家を建設し、なかでも、後にアラブ帝国・ウマイヤ朝(661-750)の都として、現在はシリア=アラブ共和国の首都であるダマスクス(ダマスカス)が、アラム人の中心活動地となっていった。
 アラム人は、内陸貿易を中心に活動する陸商民で、この結果、彼らの話すアラム語はオリエント世界の共通語となっていった。イエス(B.C.7/B.C.4?-B.C.30?)もアラム語を使用していたという。また表音文字の一種であるアラム文字も北アジア・インド・東アジアなどに伝播し、オリエントでは、B.C.6世紀に、楔形文字にかわる新文字として全域に流布した。

 フェニキア人は冒頭のカナーン人の一派が、現在のレバノン海岸に居住した民族で、ビブロス・シドンティルスといった海港都市国家を築いていった。B.C.12世紀以降、地中海貿易を独占する海商民として、やがて地中海・黒海・紅海沿岸に植民市を建設していく。なかでもB.C.814年頃、ティルス市がアフリカ北岸に建設した植民市カルタゴは重要地で、その後カルタゴは地中海域覇権をめぐって、世紀にわたるポエニ戦争(一次:B.C.264-B.C.241,二次:B.C.218-B.C.201,三次:B.C.149-B.C.146)で共和政ローマと戦うことになる。"ポエニ"はラテン語で"フェニキア"を表す。
 フェニキア人による地中海貿易は、アラム人同様、貿易品だけでなくあらゆる文化を伝播した。中でも最も重要なのが、フェニキア文字の流布である。フェニキア文字は、アルファベットの祖型である原カナーン文字から発展したもので、まだエジプト象形文字に近い、絵文字の特性があった原カナーン文字を、線状文字に改良し、アルファベットの原形となる文字を、22の子音字として成り立った。B.C.9〜B.C.8世紀にはギリシアに伝播し、ギリシアでは母音字が加わって24文字となった(ギリシア文字)。西方のギリシア文字と同じく、東方でも、前述のアラム文字に派生していく。

 ヘブライ人はもともとユーフラテス川上流で遊牧生活を送っていた。"ヘブライ"とは原語で"イブリ"といい、"川の向こうから来た者"という意味で、他の民族が当時の彼らの呼称として使用し、彼らは自称"イスラエル人"として今日まで使用している。B.C.18世紀頃、神ヤハウェ(ヤーヴェ)が、イスラエルの祖とされるアブラハム(ヘブライ語で"群衆の父"の意味)に約束の地カナーンを与える約束をした。アブラハムは一家を連れて、生まれ故郷のウル(南メソポタミアの古代都市。シュメール人の王朝として有名)を離れてカナーンに移住した。
 この時、神ヤハウェはアブラハムの信仰を試すことにした。息子イサクを生け贄に捧げよとアブラハムに命じたのである。この命を受けたアブラハムは祭壇を築き、薪を並べてイサクを縛って祭壇の薪の上にのせ、刃物をとって殺そうとすると、神ヤハウェは止めて、「あなたのひとり子さえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った(『旧約聖書・創世記-第22章-』より)。」と話し、アブラハムの神への信仰を知った。こうして、預言者アブラハムは"信仰の父"と称され、長くイスラエル人に敬愛されるようになる。

 B.C.1500年頃、ヘブライ人はカナーン人を従属させてパレスチナに移住、一部はエジプトに移住した。エジプト新王国(B.C.1567-B.C.1085。第18〜20王朝)国王、ラメス2世(ラムセス2世。位B.C.1290頃-B.C.1224頃/B.C.1304頃-B.C.1237頃)の時代、エジプトに定住していた一部のヘブライ人は、エジプトの奴隷として強制的に働かされるなど、圧政に苦しんだ。

 エジプトで生まれたヘブライ人のモーセ(モーゼ。B.C.1350頃-B.C.1250頃)は、この悲惨な境遇からの解放を神に求めた。"神に約束された地カナーンに、仲間を引き連れよ"と告げられたモーセは、ヘブライ人を率いてエジプトを脱出(出エジプト。Exodus)、紅海をわたり(伝説とされている"海が左右に割れる奇跡"は紅海が舞台である)、そしてシナイ半島南部のシナイ山に入った。
 モーセはシナイ山で神ヤハウェから十ヵ条の命令(十戒。じっかい)を含むさまざまな律法トーラー)を授かった。宗教的・倫理的な神の要求を律法とし、ヘブライ人がそれを守る(絶対服従)ことで、神からの救済が約束されるという、"契約"に基づく成立であった。十戒とは、宗教的義務と道徳的義務によって成り立っている以下の10の命令である。

@あなたはわたしの他に、なにものも神としてはならない
Aあなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
Bあなたは、あなたの神、主の名を、みだりにとなえてはならない
C安息日を覚えて、これを聖とせよ
Dあなたの父と母を敬え
Eあなたは殺してはならない
Fあなたは姦淫(かんいん)してはならない
Gあなたは盗んではならない
Hあなたは隣人について、偽証してはならない
Iあなたは隣人の家をむさぼってはならない
 〜『旧約聖書・出エジプト記-第20章-』より

 モーセは預言者として、ヘブライの民に律法を告げることにより、次第に宗教的な団結力を固めていき、苦難を重ねながらも数十年に及ぶ脱出劇を終え、約束の地カナーン(パレスチナ)で同胞と合流した。しかしモーセは、その約束の地を目前に没したといわれている。『旧約聖書』によると、モーセは塩の海("死海"のこと)東岸のモアブで没し、120歳で生涯を終えたとされるが、最後まで目は霞まず気力は衰えなかったという。墓所はまだ見つかっていない。モーゼ没後、モーセの従者の子ヨシュアは指導者となって民を率い、ヨルダン川を渡って、同川西岸イェリコなどを占領し、同地一帯に定住した。

 ヨシュア没後も、非常時に、イスラエル人を軍事的・政治的に統率するカリスマ的指導者(士師。しし)の登場は望まれていった。やがて海の民ペリシテ人からの侵攻が起こった。最後の士師であり預言者であるサムエルが、望まれつつあった王政による民族強化の実施にふみ切り、B.C.11世紀末にヘブライ王国をおこして、サウル(位B.C.1020頃-B.C.1010頃)を初代国王につかせた。
 サウル王率いるイスラエル軍は、ペリシテ人との戦いの間に伝播した鉄器を自身の軍隊に導入し、鉄武装で抗戦した。この時、サウルに従軍し、ペリシテ人の英雄である巨人ゴリアテを"石"で一瞬に打ち殺した部将が、元牧童で、ヘブライの一支族・ユダ族出身のダヴィデ(?-B.C.972?/B.C.960?)であった。ダヴィデはゴリアテ戦での軍功で、サウル王に気に入られ、サウルの娘と結婚した。しかし、ペリシテ人討伐の功に際し、民衆は"サウルは千を撃ち殺し、ダヴィデは万を撃ち殺した"と、王よりダヴィデを讃えるようになったため、両者間に亀裂が入った。
 ダヴィデはサウル王のもとを離れてペリシテ人に降りた。一方サムエルにも疎遠され、ペリシテ人とギルボア山で戦ったサウルだったが、彼とヨナタンら3人の子共々、戦死した。ダヴィデはその後パレスチナ全土統一を成し遂げ、2代目王となり(ダヴィデ王。位B.C.1000?/B.C.1011?-B.C.960?/B.C.972?)、要害の地イェルサレムを奪って同市を首都とし、統一国家の基礎を固めた。死後、彼は伝説化し、イエスは彼の子と信じられるようになり、後世理想の王と称された。また西ヨーロッパ文化にも多大な影響を与え、ルネサンス期の美術家ミケランジェロ(1475-1564)による彫刻「ダヴィデ像」はその代表である。

 王国の全盛期を現出したのは、ダヴィデの子ソロモン王(位B.C.961?/B.C.971?-B.C.922?/B.C.932?)である。エジプト王の娘と結婚して海外貿易の発展に努め、軍備を充実させて市域を広げ、"ソロモンの栄華"といわれる黄金時代を築いた。また、イェルサレムに宮殿やヤハウェの神殿の大土木工事をおこすなど積極的に国の発展にむけて邁進したが、国費維持のため民に重税を課し、また多神教導入による偶像崇拝の混乱が発生する一幕もあった。このため国家は徐々に衰退に向かい、ソロモン王の死後(B.C.10世紀)、ヘブライ王国は北の諸族の離反(B.C.930?)により、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した

 国王ヤロブアム1世が統治する北のイスラエル王国(首都サマリア)は、ソロモン王の子レハブアム王が統治する南のユダ王国より財力・軍力ともに豊富であったが、異教化に走ったため、預言者が民族団結の説得を告げるもむなしく、ヤロブアム2世の頃には国力は衰え、B.C.8世紀(B.C.722-B.C.721?)に、北メソポタミアにおこり、全オリエントを統一した世界帝国アッシリア(B.C.2000頃-B.C.612)の王サルゴン2世(位B.C.722-B.C.705)に征服され、滅亡した。
 一方、ダヴィデ王家を継承して統治した南のユダ王国・レハブアム王も、首都イェルサレムを維持しながら、ユダ族を取り仕切り、北のイスラエル王国滅亡後も存続したが、アッシリアに攻められるなど苦難の道を歩んだ。やがてアッシリアが滅亡しB.C.612)、エジプト、リディアメディア新バビロニア(カルデア)が分立(4王国分立)、中でも新バビロニアが台頭し、王ネブカドネザル2世(位B.C.605-B.C.562)のもとで最も強力な統治国家を築いた。
 ユダ王国は遂に新バビロニア・ネブカドネザル2世の攻撃にあい、多くの住民がバビロンに強制移住させられ、B.C.586年、ユダ王国は滅亡した。バビロンへの強制移住は"バビロン捕囚(the Exile)"と呼ばれ(B.C.586-B.C.538)、この間イスラエル人は亡国と捕囚による苦境の中、過去唯一神ヤハウェを裏切って一神教から多神教へと導いたことを反省し、預言者の再来を求めていくうちに、神ヤハウェの再信仰は強まっていった。神ヤハウェと契約するものだけが救われ(排他的選民思想)、これを実現してくれる救世主(メシア)の到来を待ち望んだ。また、B.C.1100頃からB.C.150年頃の間に書かれた、ヘブライ人預言者の言葉を『旧約聖書(Old Testament)』としてヘブライ語で編纂した。

 やがて2番目の世界帝国・アケメネス朝ペルシア(B.C.550-B.C.330)が新バビロニアを滅ぼし(B.C.538)、イスラエル人はバビロンから解放された。イェルサレムを再興、同地に唯一神ヤハウェの神殿を再建し、ここにユダヤ教が成立した。『旧約聖書』をユダヤ教の経典とし、社会生活の基本と言うべき律法を厳しく重んじて信仰を深めていき、多民族からはバビロン捕囚を境にして、これまでの"ヘブライ人"から、"ユダヤ人"という呼称に変わっていった。やがてイエス(キリスト)は、形式化したユダヤ教の律法主義を改めて、万民無差別に救済を及ぼす道を開き、ユダヤ教から独立してキリスト教という世界宗教へと発展させていく。

 シリア・パレスチナのセム系の3民族についてご紹介しました。本編の構造からもわかるように、この分野は、ヘブライ人(イスラエル人・ユダヤ人)の学習量が他の2民族以上に多いのが特徴です。といっても、アラム人やフェニキア人の学習を捨てるわけにはいかず、入試でも必須分野となっています。また今回は、倫理内容も多く触れる必要から、幾つかの場面で『旧約聖書』の文も引用させていただきました。"モーゼの十戒"などの分野は、これまで幾度も映画化されるなど、有名な伝説として現代でも記憶に残されていますね。

 さて、今回の学習ポイントですが、まずアラム人は、"陸商民"であること、ダマスクスを築いたこと、アラム語・アラム文字を発明したことが重要です。フェニキア人は、逆に"海商民"であること("海の民"とは別の意味です。混同しないように)、シドン・ティルスといった都市国家を築いたこと、のちティルスにカルタゴ市が作られること、アルファベットのもとであるフェニキア文字を作ったこと、それは表音文字で、表意文字ではないということ(正誤問題で出題)などが重要ですね。

 今回のメインであるヘブライ人ですが、自称はイスラエル人で、他称は、バビロン捕囚前はヘブライ人、捕囚後はユダヤ人と呼ばれていることに注意しましょう。預言者はモーセのみ覚えておけば大丈夫ですが、倫理分野では本編にも登場したアブラハムや、イザヤ・エゼキエル・エレミアなども知っておいたら無難でしょう。モーセの分野では、出エジプトのみで大丈夫ですが、この頃のエジプトは新王国ラメス2世の頃とされています。倫理分野では、十戒や律法(トーラー)、また口伝の律法(タルムード)も重要です。

 ヘブライの国王については、ダヴィデ王とその子ソロモン王の2人は出題頻度の高いです。さらにソロモン死後の2国分裂については、南がどれで北がどれかもしっかり把握しておき、またそれぞれどこに征服されるかも覚えておくべきですね(イスラエル王国→アッシリア、ユダ王国→新バビロニア)。

 最後にユダヤ教ですが、"選民思想"と"救世主(メシア)"はキーワードとなります。『旧約聖書』の"旧約"とは"神の古い契約"という意味で、パウロ(?-64?)が、"神との新しい契約"を意味する"新約"を持つ『新約聖書(New Testament)』と対照させたことに由来しています。『旧約聖書』はヘブライ語で書かれていますが、2世紀初めに成立した『新約聖書』は、ヘレニズム世界の共通語であるギリシア語のコイネーで書かれていることも重要です。

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