世界史の目−Vol.51−

スーダンの黄金王国

 現在の"スーダン"は一般的に、アフリカ大陸に注ぐナイル川中上流に位置する"スーダン共和国(1956独立)"として使用されているが、歴史的に見た場合の"スーダン"とは、サハラ砂漠以南の地域名として使われる。"スーダン"には、"黒色の人"という意味があり、数々の黒人王国が繁栄を極めた。

 B.C.10世紀、ナイル上流の東スーダンでは、最古の黒人王国であるクシュ王国(B.C.920頃-A.D.350頃)が誕生した。ハム系クシュ人の国で、建設当初はナパタに都を置いた。エジプトによってもたらされた製鉄技術によって栄えたこの王国は、B.C.8世紀にはエジプトを第25王朝として支配したこともあり(〜B.C.671)、その後ナパタから南のメロエに遷都しつつも存続した。現在でもナパタやメロエには数々の高度・高質な遺跡・文字(メロエ文字。未解読)の記録が残されている。
 クシュ王国は紀元前後に衰え始め、代わって紅海を囲む現在のエチオピア、イエメン、エリトリア、ジプチ辺りに興ったセム系アクスム人によるアクスム王国(B.C.120頃-A.D.572。首都アクスム)が勢力を増し、A.D.4世紀、メロエを陥落させてクシュ王国を滅ぼした。アクスム王国の黄金期は3〜6世紀であり、インド洋での交易によって栄えた。4世紀前半にキリスト教を受容、その後衰退したが、エチオピア帝国として存続していった。西欧では、12〜16世紀の間、プレスター=ジョンの噂(聖ジョン伝説)が流れていたが、これは、アジアのどこかにキリスト教の司祭王ヨハネ(プレスター=ジョン)が実在すると信じられていたもので、大航海時代にプレスター=ジョンの実在する地をアジアからアフリカに移し、ポルトガル人などの航海者がキリスト教国エチオピアを訪れている。

 中スーダンでは、8世紀ごろからチャド湖東岸のカネム地方にカネム王国がチャド湖周辺を制圧し、11世紀末にはイスラム化が促進された。サハラを縦断した奴隷交易が発展した同王国は、14世紀の内紛で西岸のボルヌー地方に都を遷して再興した(ボルヌー王国)。この2国をまとめてカネム=ボルヌー王国(8C頃-1846)といい、16世紀後半に最盛期を迎えた。

 西スーダンでは、7世紀頃、大陸西部のセネガル川の上流域とニジェール川の上流域にまたがるアフリカ最古の黒人王国が誕生した。ガーナ王国である(7C頃-1076頃/1150)。この王国はが大量に産出され(その有り様は"ニンジンのように生えている"と例えられた)、ムスリム商人によってもたらされるサハラ砂漠産の岩塩との交易によって繁栄を続け、これによって急速にイスラム化が促進された。しかし、1076年頃、モロッコのベルベル人が創始したムラービト朝(1056-1147)の侵入で衰退していき、王国は縮小した。

 ガーナ王国の都を陥落させたのはソソ族のスマングルという暴君である。この時、西アフリカに定着するマンディンゴ族を、スマングルの圧政下に置いている。この圧政から逃れるために、マンディンゴ族は独立運動を起こし、やがてその中からスンジャータ(マーリー=ジャータ。生没年不明)という人物が現れ、スマングルを打倒して、1240年、ガーナの国力を継承、マリ王国(1240-1473)をニジェール川上流域に興したという。

 アラブ最大の歴史哲学者イブン=ハルドゥーンチュニス出身。1332-1406)は、エジプトに赴いた時、西アフリカに詳しい人々からマリ王国に関する口頭伝承を集めたとされ、彼の著書『世界史序説』に記されている。それによると、マリ王国は17代の王の系譜をたどり、初代王スンジャータについても英雄伝説を残した。伝承では、スンジャータは王位継承家の末子で、発育が遅かったために歩行が困難だったという。幼少時に父が没すると、スマングル軍が侵入して、王族を虐殺し、ニジェール全域制圧をはかった。この時スンジャータは国外へ放たれたが、やがて、ニジェール川内陸のメマ王族の宮廷に入った。ここで、彼の脚が奇跡に近いほど全快し、歩行が可能になったことで、戦術や狩猟を学び、やがて軍を集めた。
 マンディンゴの王族の要請でマリに帰国したスンジャータは、1235年、スマングル軍を滅ぼし、マリ王国を創始して初代王につき、ニジェール川上流のニアナ(ニアニ)に都を定めて、帝国の基礎を固めた。これが、スンジャータがマリの英雄として語られているゆえんである。

 その後もマリ帝国は、ガーナ王国が栄えた源である金の産出・交易を継承して、経済的に発展し、特にニジェール川に近い交易都市トンブクトゥやジェンネは商業が活発化した。またムスリム商人との交易を通じて、イスラム教を受容し、14世紀に全盛期を迎えた。中でもマンサ=ムーサ王(カンカン=ムーサ。位1312-37。"マンサ"は"大王"の意味)の時代が最も華やかであったとされている。王国の版図が最も拡大したのもこの王の時代であった。当時スペインでは"ムッセ=マリ"と呼ばれて座像が描かれたが、これがマンサ=ムーサ王と推定されており、原産である豊富な金によって、同地で最も巨富を持つ高貴な王と言われた。1324年、ムーサは数千人という従者を引き連れてメッカ巡礼を行い、この際旅費として大量の金を奉納したといわれ、カイロでは13トンもの金が流入したため過度のインフレを引き起こしたと言われる。
 また中国・元朝(1271-1368)を訪問したことで知られるモロッコ出身の大旅行家イブン=バットゥータ(1304-68/69/77)もマリ王国を訪れており、主著『三大陸周遊記』でも詳しく記されている。

 ムーサ王が没するとマリ王国は衰退を見せ始めた。それに伴い、15世紀後半、ニジェール川沿岸域に居住し、マリ王国の支配を受けていたアフロ=ナイル語族に属するソンガイ族が勢力を強めてきた。1464年、ソンガイ族の王ソンニ=アリ(位1464?-1492)は、トンブクトゥより東南東に位置するニジェール沿岸の都市ガオを制圧し、1473年にはマリ帝国を滅ぼしてガオを首都にソンガイ王国(1473-1591)を創始した。ソンガイ王国は、マリ王国が築いたトンブクトゥやジェンネといった交易都市を次々と制圧して北アフリカとの内陸貿易に従事する傍ら、稲作なども行った。次王アスキア=ムハンマド(位1493-1528)のとき版図が最大となり、ソンガイ王国の黄金期を現出した。ソンニ=アリ王はイスラム教を嫌い、なかば暴君化したが、逆にアスキア=ムハンマド王はイスラム教を保護し、特に交易都市トンブクトゥはスーダンのイスラム文化の中心都市となり、大学も創設されるなどしてその名を広めたのである。アスキア=ムハンマド王の死後もソンガイ王国は存続したが、その後国力は衰え、さらにモロッコ軍の攻撃を受けて、トンブクトゥ、ガオ、ジェンネといった有力な都市も次々と陥落し、1591年、遂に滅亡した。その後カネム=ボルヌー王国がソンガイ王国亡き後の西スーダンにも進んだが、19世紀半ばに滅亡している(1846)。

 数々の黄金文化を築き上げ、有力都市を建設して繁栄したスーダンの諸国家は、19世紀後半になって、イギリスやフランスらによって占領され、宝庫である黄金も列強に奪われた。東スーダンはイギリス領、西スーダンはフランス領となり、アフリカ諸国の独立が促された1960年、いわゆる"アフリカの年"が現出されるまで、スーダンは長く帝国主義の波にのまれていくのである。

 *

 近代以前に栄えたアフリカ諸国は、イスラム教やキリスト教を取り入れながら、独自の文化を築き上げました。今回ご紹介した諸国はほんの一部で、実際はもっとたくさんの国々が興亡を繰り返したと言われています。アフリカ諸国には、エジプト以外にもたくさんのドラマティックな歴史を残した国々があるのですね。

 さて、今回の学習ポイントです。アフリカは河や湖、砂漠の名前と場所は要注意なのです。ナイル川だけではなくて、ニジェール川やセネガル川、ザイール川、ザンベジ川、リンポポ川、オレンジ川、チャド湖、ヴィクトリア湖、タンガーニカ湖、ヴィクトリア瀑布、サハラ砂漠、リビア砂漠、カラハリ砂漠などがあります。一度地図帳で確認してみましょう。アトラス山脈やコンゴ盆地など、山地名も知っておくと便利です。

クシュ王国とアクスム王国は、世界史の教科書では、イスラム帝国の発展の分野で取り上げられています。最古の黒人王国であるクシュ王国では、メロエを首都としたこと、製鉄技術をエジプトから学んだことを知っておけば良いでしょう。アクスム王国では、エチオピアの前身であること、4世紀にクシュ王国を滅ぼしたこと、キリスト教を受容したことを知っておいて下さい。

 そして、今回の目玉である西スーダンの黄金王国ですが、まずガーナ王国。現在のガーナ共和国と本編に登場したガーナ王国とは全く別物で、共和国は、ガーナ王国を讃えて命名された国です。ガーナ共和国の地には、17世紀末頃、アシャンティ人が建設したアシャンティ王国(〜1901)などがありました。ガーナ王国のポイントは、ムラービト朝の侵入があったこと、イスラム化が促進したことが重要です。マリ王国は"マリ帝国"と呼ばれるくらい西スーダンで繁栄を誇った国ですが、マンサ=ムーサ王の存在は是非とも知っておいて下さい。彼のメッカ巡礼でばらまいた大量の黄金があったからこそ、大航海時代が発展したといっても過言ではないのですから。ソンガイ王国では、トンブクトゥ市が繁栄したことなどが重要です。16世紀に、黒人による最初の大学が建設されたのもトンブクトゥです。そして、入試によく出るのが、興った順番です。ガーナ王国→マリ王国→ソンガイ王国の順は必ず覚えておきましょう。学生時代、私は"ガナマリソンガイ"と呪文のように覚えていましたが。

 カネム=ボルヌー王国の出題率は低いですが、私が受験した頃は、カネム王国とボルヌー王国と分けて覚えていました。今はワンセットになっているのですね。

 本編でご紹介できなかった箇所では、アフリカ東岸の港市も重要です。アラビア半島のイスラム商人との海上貿易が盛んでしたこの地域には、赤道以北にはモガディシュ、赤道以南にはマリンディモンバサザンジバルキルワ、さらに南に下ってモザンビークソファラなどがあります。彼らはアラビア人から"スワヒリ(="海岸に住む人たち")"と呼ばれて、アラビア語の影響を受けたスワヒリ語が使用されているのも重要です。
 アフリカ南部で、ソファラより内部、ザンベジ川南部の流域にも数々の国がおこっていました。ショナ族の国・モノモタパ王国15世紀頃)がその代表です。ムニュムタパ王国とも呼ばれるこの国は、インド洋貿易によって繁栄しました。この王国を作ったショナ族は、モノモタパ王国が繁栄する前にも高度な文化や、イスラム国・中国・インドなど広域に渡った交易を行っていまして、現在でも壮大な石造遺跡が残っています。この場所がジンバブエで、谷の遺跡、楕円形の神殿(大囲構。グレートエンクロージャー)などで有名です。

世界史の目に戻る
参考文献

Copyright (C) KOBE MANTOMAN SHIDOU SENMON GAKUIN All Rights Reserved.