世界史の目−Vol.65−

エーゲ文明

 都市国家ポリスが登場する紀元前8世紀より以前のギリシアは、歴史時代の実在性が薄いものだと見られていた。ホメロス(B.C.8C頃)の記した叙事詩などはフィクションであり、ギリシアにおける青銅器文明は19世紀の半ばまで確認できなかった。
 ところが、ホメロスの描いた世界と、ギリシアの青銅器文明の実在性を幼い頃から夢見ていたドイツ考古学者がいた。ハインリヒ=シュリーマン(1822-90)である。

 シュリーマンは北ドイツのメクレンブルクの牧師の家に育った。子どもの頃、父親にすすめられてホメロスの書を愛読し、話中に登場するトロヤ戦争(トロイア戦争)に衝撃を受けたといわれる。家は貧しかったため、働きながらも学業を怠らず、様々な学問を積み上げた。成人に達してからはロシアに移住して実業家として成功し(1846-63)、その資金で考古学に専念した。
 小アジア(アナトリア。地中海・エーゲ海・黒海に挟まれた半島。現在のトルコ共和国)に赴いたシュリーマンは、ダーダネルス海峡がある小アジア北西のヒサルリク(ヒッサリク)の丘がトロヤ(トロイア)だと信じて3度の発掘に着手した(1870-90)。そして、1度目の発掘で、9層からなる古代遺跡を発見して学界を驚嘆させた。その後の研究で第7層トロヤ文明(トロイア文明。繁栄期B.C.2000頃-B.C.1200頃)であったことが確認でき、トロヤ戦争の実在が証明された。その後ギリシア本土において、1876年にミケーネ(ミュケナイ。現在のペロポネソス半島東部、アルゴス平野北部)、1880年にオルコメノス、1884〜5年にティリンス(ミケーネの南)の遺跡を発見するなど、ギリシア本土にも文明(ミケーネ文明。繁栄期B.C.1600頃-B.C.1100頃)が栄えたことを明らかにし、古代ギリシア考古学史に偉大なる功績を残した。

 このシュリーマンの発掘事業に刺激を受けた中に、イギリス人考古学者のアーサー=エヴァンズ(1851-1941)がいる。彼は新聞社の通信員としてバルカンへ出向いた折りにシュリーマンと出会い、その指導を受け、ホメロスに傾倒し、エーゲ海南方に浮かぶクレタ島に栄えた文明について、その実在を調査することを決した。オックスフォード大学で先史考古学を教授するかたわら(1884-1908)、クレタ伝説に関する資料収集も行い、以前ギリシアに赴いた時に見た出土品に着目して、クレタ島に足を踏み入れた。そして発掘調査にふみきり、1900年遂に、クレタにおいて青銅器文明が栄えたことを突きとめた。それは紀元前3000年頃にクレタ島に移住してきた、青銅器文化の知識を持つ小アジア人(民族系統不明)が担い手となって建設されたクレタ文明(クレタ王国。繁栄期B.C.2000頃-B.C.1400頃)の小国家であった。

 シュリーマンとエヴァンズの努力によって、エーゲ海を中心とする華やかな青銅器文明が存在したことは実証された。クレタ文明やミケーネ文明など、時代によって興亡した諸文明・諸王国を総称して、エーゲ文明(3期に分けられる。初期青銅器時代:B.C.3000年頃-B.C.2000頃、中期青銅器時代B.C.2000頃-B.C.1500頃、後期青銅器時代B.C.1500頃-B.C.1100頃。トロヤ文明とクレタ文明は中期、ミケーネ文明は後期に繁栄)と呼ぶ。

 クレタ島で発掘されたのは都クノッソスの王宮遺跡で、その後エヴァンズによって復元された。クノッソス宮殿は別名"ラビュリントス(迷宮)"と呼ばれ、その構造は立地している地形に影響してか、広壮複雑であり、"迷路(labyrinth)"の語源ともなった。この宮殿を建てたとされているクレタの伝説上の王がミノスで、彼はオリンポス12神を統治するゼウス神(ジュピター)とエウロペ(白牛と化したゼウスにさらわれて、クレタに渡って3子を出産)との間にできた子という。またアテネに毎年、人身御供をラビュリントスに住むミノタウロス(ミノス王妃と牝牛との間にできた、半人半牛の怪物)に捧げるよう命じたという伝説がある。エヴァンズは、クレタ文明をミノス王に因んでミノア文明とも名付けた。さらにエヴァンズは、同島から文字を発見、これをミノア文字と名付けた。エジプト文明のヒエログリフ(神聖文字)に似たクレタ絵文字(B.C.2000-B.C.1660頃)と、線状の音節文字線文字A類(B.C.1660-B.C.1450頃)、そしてA類から発展した線文字B類(B.C.1450-B.C.1200頃)がある。

 クノッソスの宮殿にはイルカなどの海の動物をはじめ、花や鳥、大牛を飛び越える人間の曲芸、女性絵(「パリジェンヌ」)など、写実的な壁画が残されている。タコが描かれた壺なども出土された。王宮に城壁がなく、クレタ文明は平和で明るい海洋文化であったと思われる。クノッソスの島の統一B.C.1600年頃とされ、シリア、エジプト、小アジア、イタリアなどと海上貿易を発展させていった。クレタ島の北には、アクロティリ遺跡で知られるテラ島(ティーラ島。サン=トリーニ島)があり、同様に文明が栄えたが、B.C.1500年に火山爆発が起こり大半が水没する悲運に見舞われ、後のアトランティス大陸伝説を生む根源となったといわれている。

 B.C.2000年頃、インド=ヨーロッパ系のギリシア人の一派がバルカン半島や小アジアに南下し、第一波はアカイア人(東方方言群の中心)と呼ばれる。アカイア人がおこした国がミケーネであり、このミケーネを始めとする数々の小王国によって、王宮や円墳が造営された。ミケーネ文明である。
 アカイア人は、B.C.1400年頃、クレタの王宮を破壊し、その後クレタ文明は衰退に向かった。ギリシアはミケーネ文明の時代に突入したのである。
 ミケーネ文明では中心地ミケーネ以外にも、ティリンスピュロス(ペロポネソス半島西南部)、オルコメノス、イオルコス、アテネといった都市が繁栄した。特にピュロスはその遺跡から線文字B類の粘土板文書が出土されたことで名高い。ミノア文字は、クレタ文明の後期、クレタ絵文字から線文字A類に発展し、アカイア人の侵入時、ギリシア本土に渡って線文字B類になったとされ、線文字B類は特にミケーネ文明で見られる。クレタ絵文字と線文字A類はまだ未解読であるが、線文字B類は1953年、イギリスのマイケル=ヴェントリス(1922-56)がピュロスの線文字B類文書の解読に尽力、ギリシア語が古い形で表記されていることをつきとめ、解読に成功した。

 ミケーネ文明の交易は広く、地中海やバルト海にまで活動をおこしていた。それだけ強力な王権のもとで繁栄していたということである。農民からの貢納によって王室財政を保ち(貢納王政)、貴族らしき王の従者もいて、奴隷の制度も施していたことから、専制君主政を目指していたと思われる。ミケーネの王墓からは黄金製のマスク(仮面)や数々の武器など、多くの財宝や青銅器が出土されている。また城砦がしっかりと建造され、王宮の門は「獅子門」と呼ばれ、向かいあった2頭のライオン石像が置かれている。絵画などは尚武的な傾向があり、戦士や狩りの絵が残されていることから、ミケーネ文明はクレタ文明とは対照的に、戦闘好きの内陸文化であるとされ、特に衰退をみせるB.C.1260年頃からB.C.1250年頃にかけては、小アジアにも侵攻した。これがトロヤ戦争(トロイア戦争。トロイ戦争)である。ミケーネ国王とミケーネ文明諸王国軍総帥を兼ねるアガメムノンの時に勃発した戦争である。

 ゼウスとレダ(ギリシア神話。もとスパルタ王の妻)との間にできた娘ヘレネ(レダが、白鳥に変身したゼウスと交わり産まれる。アガメムノンはヘレネの兄)はスパルタ王メネラオスの妃だったが、ある時トロヤ王子パリス(アテナ、ヘラ、アフロディテの3女神の美貌争いを審判した"パリスの審判"で有名)がヘレネの美貌に魅せられ、彼女を誘拐したため、アガメムノン率いるミケーネ代表のギリシア軍が王妃奪還を目指してトロヤに侵攻した。トロヤを包囲するも強力な城壁とトロヤのねばり強い防備で一進一退を繰り返し、10年を費やす大戦争に発展した。
 ギリシア軍は第一の戦士アキレウス(アキレス。ギリシア神話の英雄。アキレス腱の語源となる。ホメロスの著『イリアス』の中心人物として有名)が、トロヤの総帥でトロヤ英雄の強力戦士ヘクトルを討つが、唯一の弱点である踵(かかと)をパリス(アポロンの説もある)の矢で射抜かれ戦死しギリシア軍は苦戦、その後オデュッセウス(ギリシアのイタカ王。ホメロスの著『オデュッセイア』の主人公として有名)が登場し、彼をはじめとする勇士数人が大きな木馬の腹中に隠れてトロヤ陣営近くで待機し、彼ら以外のギリシア軍は陣営で軽く戦い、その後撤退したように見せかけ、海上で待機するという奇策を用いた。トロヤは撤退したギリシア軍を見て、ギリシア軍が捨てていった木馬を戦功としてトロヤの城内に入れて戦勝を祝ったが、その夜木馬に入っていたオデュッセウスら勇士が木馬から出て城門の内鍵を開け、海上で待機するギリシア軍に突入の合図を送った。直後、門からギリシア軍が侵入してトロヤ王プリアモスの王宮(この城砦に比定されるのがシュリーマンの発掘した第7層)とトロヤの町を炎で燃やし、トロヤを滅ぼした(トロヤの木馬伝説。その行動方法からコンピューターウィルス用語"トロイの木馬"としても用いられる)。

 以上がトロヤ戦争の大まかな内容である。伝説的要素を含み、神話として今も語り継がれている。

 B.C.1200頃、ミケーネ文明は、ギリシア人一派によるギリシア南下の第二波に巻き込まれて、衰退に向かった。第二波はドーリア人西方方言系。後のスパルタ=ポリスを建国)と考えられている。ミケーネの王宮は炎上し、諸王国は次々と破壊され(アテネ市など例外もある)、遂にミケーネ文明は滅亡した(ドーリア人ではなく"海の民"の侵入など、諸説ある)。
ドーリア人は鉄器を持って南下し、鉄器文明を築く基盤を為した一派であり、その後ペロポネソス半島に定着した。文明荒廃後のエーゲ臨海では、社会が混乱し、線文字B類も忘れられ、先住ギリシア人の民族移動が相次いだ。ギリシア人の一派アイオリス人東方方言系。のちにテーベ=ポリスを建設)はボイオティア(中部ギリシア)・テッサリア(北部ギリシア)・小アジア・レスボス島(小アジア西岸。女性抒情詩人サッフォーが出身。B.C.612頃-?)に、同じくギリシア人一派のイオニア人東方方言系。のちにアテネ=ポリスを建設)はペロポネソス半島北岸山地・アッティカ(ドーリア人の征服は免れた。ギリシア東南の半島。アテネがある)・小アジア西岸中央部にそれぞれ定着した。その後社会混乱は400年も続き、ポリス社会が築かれるB.C.8世紀には鎮静に向かうが、この400年の混乱時代では、ドーリア人が持ち込んだ鉄器文化の浸透や、アルファベットの原形であるフェニキア文字のギリシア伝播(ギリシア文字)などがわかっている程度で、詳しい史料が乏しく、暗黒時代と呼ばれている。

 琴を弾いて民に聞かせた遍歴詩人ホメロスの詩は、現在でも完璧には実証されていないものの、ヨーロッパの人々は、彼の作品にある遥か昔の古代文明を、様々な感覚で後世に語り継いでいった。これはシュリーマンやエヴァンズらの熱意で、近現代のヨーロッパ文化の根源がポリス成立より以前に存在したことが立証されたが、現在でも彼らを引き継ぐ人々もまた多くの調査・研究に献身している。その後のヨーロッパ文化の根源を創造したエーゲ文明は、いまだ色褪せることはない。

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 今回はエーゲ文明をご紹介しました。現在では観光地・リゾート地として知られるエーゲ海ですが、大昔にはこのような感動的な文明があったわけですね。
 この辺りの気候は地中海性気候(Cs)という温帯気候です。夏は乾燥して暑く、冬は雨が多いのが特徴で、オリーヴやぶどうなど果樹栽培がさかんです。これは過去も現在も変わりません。エーゲ文明が滅んでも、その後ギリシアやローマで多大な都市文明がそれにとってかわっていったように、地中海というのは、人類が生活する上で非常に好適な場所なのですね。

 さて、今回の学習ポイントですが、エーゲ文明で真っ先に出題される内容といえば、やはりクレタ文明とミケーネ文明のそれぞれの特徴でしょう。列挙しますと、

時期:クレタ文明→だいたいB.C.2000-B.C.1400 ミケーネ文明→だいたいB.C.1500-B.C.1200
中心:クレタ文明→クノッソス(クレタ島) ミケーネ文明→ミケーネとティリンス(ギリシア本土)
民族:クレタ文明→小アジア人(民族系統不明) ミケーネ文明→アカイア人(ギリシア人南下第一波)
文字:クレタ文明→クレタ絵文字と線文字A類 ミケーネ文明→線文字B類
特徴:クレタ文明→平和で明るい海洋文化 ミケーネ文明→尚武的傾向の強い文化
滅亡:クレタ文明→アカイア人の侵入 ミケーネ文明→ドーリア人(ギリシア人南下第二波)の侵入
発掘:クレタ文明→イギリス人エヴァンズ ミケーネ文明→ドイツ人シュリーマン

 クレタ文明はミケーネ文明よりも先に繁栄して滅んでいったことが大事ですね。またエヴァンズとシュリーマンに関して、名前だけでなく出身国を覚えておけば、もし穴埋め記述問題で、「イギリス人(     )がクノッソス宮殿を発掘し...」とあっても、「エヴァンズ」と書けます。
 人物では、マイナーですが、本編に登場したヴェントリスも知っておいて下さい。線文字B類の解読者です。こうした功績がありながら、不運にも1956年、彼は交通事故で34歳という若さで他界しております。残念です。

 あとトロヤ関係ですが、トロヤ戦争の内容は伝説物ですのでまず試験には出されません。登場人物も出題されませんが、アキレウスやゼウスなどは、入試に関係なく知ってもらいたいですね。ヨーロッパでは、オリンポス12神やトロヤ戦争のお話は、昔話としても語り継がれてますし、日本でも有名ですからね。トロヤ関係で出るのはホメロスでしょう。この詩人は非実在説も飛び交うなど謎の部分が多いのですが、作品名『イリアス』『オデュッセイア』はよく出題されます。当然トロヤ戦争を題材にしている作品なのですが、B.C.8世紀の作品であること、時代的には『オデュッセイア』の方が新しいことなども注意しておいて下さい。

 余談になりますが、もう1つ。本編に登場したトロヤ戦争の総大将アガメムノンに関してですが、古代ギリシアの3大悲劇作家の1人アイスキュロス(B.C.525-B.C.456)の代表作『アガメムノン』で登場します。これはよく出題されます。ちなみに3大悲劇作家とはアイスキュロス・ソフォクレス(B.C.496?-B.C.406)・エウリピデス(B.C.485?-B.C.406?)の3人で、ソフォクレスは『オイディプス』、エウリピデスは『メディア』の代表作があります。予備校時代に教わった覚え方として、アイスキュロス(ローマ字でaisukyurosu)の作品は『アガメムノン(agamemunon)』、ソフォクレス(sofokuresu)の作品は『オイディプス(oidipusu)』、エウリピデス(euripidesu)の作品は『メディア(media)』というように、出だしの母音が同じというつながりがあります。

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